休息

思考を堂々巡りさせないための書き置き。
 
今年に入ってから具合がすぐれない。持続可能な状態を維持しきれていない。そんな状況に危機感を覚え、上司に「しんどいです」と報告した。順調に仕事が出来ていると思っていた上司はだいぶ驚いていたが、社会に見せる顔と本来の自分は違うのだから、驚かれるのも無理はない。
 

自分という人間が昔から今に至るまで社会に迎合しきれないままということは、自分がよくわかっている。「あなたは男に生まれたのだから男としてしっかり生きなさい」という "社会の圧" に対しては、玉を切り落とすという極端過ぎる行為で強制否定することによって決着させた。普通の人はそこまでしなくとも折り合いがつけられるのであろうが、出来なかったのだ。
ありえないほど生き方が不器用。
 
不器用ながらも決着することで幾らかは心に余裕が生まれ、一方で社会に対してはそれを黙ることで、迎合したフリをする。これがその場凌ぎであることは明らかで、自分が窮地に立たされるようなことがあった時に非常に潰れやすいこともわかっていた。そうならないように立ち回ることが重要だとも。
だが、自分だけが都合よく立ち回るようなことが出来ない時代がやって来る。折り合いをつけるのが下手クソという弱点が再び露呈し、それが徐々に「体調がすぐれない」として表面化して来ている…といった具合。

上司には「組織としてすぐに解決策を講じることも出来ないが、情報は組織内できちんとシェアする。伝えてくれてありがとう」とは言ってもらえた。回答としては想定通りに過ぎないが、話を真正面から聞いてくれるだけ今の上司は理解があって助かる。
急な対処がとれないなか、それでも何とか持続させねばならない。「辛かったら休め」を真に受けて休職したりするとその後が倍以上大変になるのは、10年ちょっと前に経験している。とはいうものの、持続には休息が必要なのも間違いない。


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そこで休息は何かと直近の生活を振り返ってみると、「積みゲーを崩す」という行為を今年に入って生活の中に取り戻したことが、調子がすぐれない要因を生み出しているのに気がついた。数年前に発売されパッチやDLCの提供も終わったものを幾つか取り組んでいたのだが、「ゲームは息抜き」などとは微塵も考えない性格が災いしてか、ゲーム時間を無闇に増やすと身体が休息時間とカウントしていないようだ。
またゲームを通じて語られる物語が、現実の状況がアレ過ぎて「絵に描いた餅」にしか見えなくなっているのもストレスの要因になっている。同じ理由で小説も近頃は手に取ることがほとんど出来ていない。
本当に全く何もしないか、何も考えなくて済む時間というものが大切らしい。

それとこの1年で痛感したことは、自分は都会に憧れる田舎者が根底にあって都会人になり切ることは出来ないということだ。恐らく将来的には都会を離れて生活した方が良い。
本当に場所を選ばないで済む仕事であるならば、住処はどこでも良いはずである。その理想に辿り着くための手段は多分幾つかはあるが、手段へ踏み出すためにも、やっぱりちゃんと休息は取らないといけないのかも知れない。
きちんと休むということは、わかったつもりでわからないものだなあと思う。