とあるクラウドファンディングにおける一部始終と今後の課題

2022年10月1日、午前1時50分。
ひとつのKickstarter発ゲームプロジェクトの資金調達キャンペーン期間が終了した。
その名は「アームドファンタジア & ペニーブラッド」。ワイルドアームズの精神的続編とシャドウハーツの精神的続編という2つのJPRGが合同で資金調達を行うという、珍しいスタイルのプロジェクトだった。

結果だけ言えば、キックスターターキャンペーンは大成功。
用意されたストレッチゴールは全て達成され、Kickstarterビデオゲーム部門投資金額は歴代でも13位。ここ2年に限って言えば1位で、更に日本人出資割合は26.8%とずば抜けた数値を誇る。
だがその道程は決して平坦なものではなかった。プロジェクトは成功したもののKickstarterとしては課題を残している状況で、それらについて一ファンからの目線として語りたいと思う。

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■資金を集めるにはグローバル展開が必要。でも英語サイトと聞くと尻込みする
まずこれが最初の難関だ。説明などは日本語ミラーも用意されているのだが、Kickstarterアメリカのwebサイトなので実際に支援するとなると途中から表記が英語だらけになる。これだけで嫌になる人が多数出てくることは否めない。
「プレッジ」も人によっては普段あまり使わない言葉だ。

「国内にもクラウドファンディングサイトあるでしょ。そっちでいいじゃん」と言う意見が出てくるのもわかる。だが国内クラウドファンディングで海外から資金を集めるのは難しく、グローバルに多額の資金を集めるにはKickstarterが現状最も知名度が高く効果的なのだ。本プロジェクトに限らず付き合っていくしかない。


■日本語表現が若干怪しい説 & 記載漏れ & 記載誤り
Kickstarterスタッフのキャンペーン施策自体は優秀である。それは間違いない。だが、施策以外に問題が残りがちだ。
日本語表記が若干怪しいとは他プロジェクトでも言われてきている。海外スタッフが良しとする感覚で翻訳した結果が日本人にとっては違和感ありまくり…というのはクラウドファンディングに限った話ではなく、珍しい話でもない。

それだけならまだしも、そこにちょいちょいと記載漏れや記載誤りが発生し、更にKickstarterwebサイトの仕様として「プレッジ(支援)の記載内容は、誰かが支援を始めてしまうと一切表記を直せない」という仕様が絡んでくる。
間違っているのにその表記を正せないので、間違ったまま認識が進んでしまう種がずっと残ってしまうのだ。「本当は違うんですよ」ということが判明した後でも同じ質問が繰り返されてしまうことになる。
実際に繰り返され、最後の最後まで解決済の疑問を見かけた。


■2つのプロジェクトを合同で動かしたせいで返礼品の組み合わせがややこしい
本プロジェクトでは片方のゲームだけを支援することも出来たし、両方を支援することも出来た。ゲームにはデジタル版・物理版両方が用意され、ゲーム系クラウドファンディングなので開発介入系の支援もある。返礼品を多く望む人にはお得なセットコースなども用意された。
このため支援の返礼品自体が非常に多く、そしてこれらの組み合わせが大変にややこしいことになった。しかもその組み合わせ表記でもミスが起きており、質問事項が積み増されてしまう事態に繋がっている。


■これらを解決するのは誰?
英語サイトに付き合う。Kickstarter側の不備。返礼品の組み合わせのややこしさの三重苦。これを放置するとどうなるか? 誰も支援しようと思わないだろう。
だから誰かが解決しなければいけない。過去の日本発Kickstarter案件が歩んだ同じ道を、アームドファンタジア&ペニーブラッドも辿ることになる。自然発生的に、これを何とかしなければと有志が動き始めた。

不明点はとにかくKickstarter運営に聞く。本プロジェクトではアームドファンタジア国内外xペニーブラッド国内外で4つのコミュニティが存在していることになるので、どこかで解決していることが他コミュニティに届いていない可能性があった。情報の共有を行い、言語の壁はDeepl等文明の利器に頼って乗り越える。
疑問点が概ね解決されたら、わかりやすく画像や表を用意してtwitterに流し周知を図る。これが複数の有志の手により行われ、情報は更新され続けた。

公式がアップデートするたびに疑問点が増えてしまい全く落ち着かない状況というのは、体感では9/20頃まで続いていたように感じている。8/30から始まって10/1で終わるプロジェクトであるにも関わらずだ。
日本人有志の周知は続いたが、それでも全体に対する日本人の割合は16%からなかなか動かなかった。この16%というのは百英雄伝における最終日本人割合と同等で、つまりSNSでの周知が9月中頃時点では特に効力を発揮していたわけではなかった、とも言える。


■ラスト100時間の攻防と、実を結び始めた有志のフォローアップ
以下に、ラスト100時間におけるアームドファンタジア側のストレッチゴール達成状況をまとめた。

クラウドファンディングは一般的に、初日とラスト3日付近で投資額が大きく伸びるものとされている。だが残り100時間の時点で、ストレッチゴールの数としては半分しか達成されていない。それでも空気は変わりつつあった。

猛烈に日本人支援者が増え始めたのだ。
有志によるまとめ・フォローがようやく功を奏し始めたと言える。それだけでなく個別のお悩みを直接引き受ける駆け込み寺として、アームドファンタジア公式Discord鯖内に「相談室」チャンネルが開設&運用開始。twitterには「どうすればいいんだろう」と悩む人を見かけては声をかけて相談に乗る有志も存在した。
このような、有志があの手この手で心理的ハードルを下げようと努力し続けたことが、日本人割合26.8%という結果に繋がっている。

とにもかくにもおめでとう。ただ、本クラウドファンディングを通して、将来的な課題がいくつもあるな…とも感じた。


■問題解決の在り方が属人的
例えば「海外サイトなのでどう手続きを進めていいかわからない」等は、アームドファンタジアやペニーブラッド特有の問題ではない。「こうすればいいんですよ」という一定の手順で説明が可能なのだが、Kickstarterはそんなに細やかにフォローしてくれない。それが出来るなら、そもそもミラーサイトの日本語が若干怪しくなったりしない。

また、クラウドファンディングは大抵パブリッシャー未定なのでいわゆる広報宣伝部隊がない。そしてプロジェクト起案者は忙しくて手が回らないし、起案者も大抵クラウドファンディング自体初めての挑戦なので、トラブルに対するノウハウがない。
だからそのしわ寄せが全部コミュニティ側の負担になる。

前に海外クラウドファンディングサイトを使った経験があって勝手がわかっている人がいれば話は早いだろう。でもそうした人がいないコミュニティならノウハウがないのでイチから取り組まねばならないし、ノウハウがなければトラブルの事前回避だって難しい。
共通する課題があるのに対応するコミュニティはプロジェクト毎にバラバラになってしまうから、解決の在り方が属人的になる。そんなところでクラウドファンディングの成功が左右されるのは本質から外れている。
毎回コミュニティに多大な負担がかかる状況で、日本人発Kickstarterゲーム開発プロジェクトが今後大きく花開くかというと、このままでは正直厳しいだろう。


■海外クラウドファンディングサイトを利用する日本発のゲーム開発案件に今求められているのは、スムーズな支援を可能とする仲介者の存在である
長々と書いて来たが、これが結論になる。
合同で行なったことによる返礼品選択のややこしさこそ本プロジェクト特有の事情だが、逆に言えば特有のものはそれくらいしかない。表記漏れ & 表記誤りに対する疑問点の投げつけも本来コミュニティ側がすべきことではない。安心出来ないと支援出来ないから解決せざるを得ないだけだ。

百歩譲ってKickstarterがミスするのは仕方ないとしよう。しかしそのフォローアップをファン任せにする状況はどう考えてもおかしい。従って、海外クラウドファンディングを利用する日本発のゲーム開発案件に関して、共通する問題・課題へのノウハウを蓄積し、どんなプロジェクトにも横断して同じような品質でサポートを提供し、ファンが露頭に迷う前に交通整理してくれる、クラウドファンディングサイト・プロジェクト起案者・ファンコミュニティの間を取り持つ存在が必要だ。
そうすれば、"今よりはずっと" 初期段階からスムーズに支援のサポートが行えるし、日本人の出資割合は伸ばしていけるだろうし、結果的に支援総額も伸びていくことだろう。

ここまで来ると1人でどうこう出来る規模は超えている。
自分自身はこのような仲介の存在が立ち上がるのであれば参加することに意欲を示したいが、果たしてこのような数々の問題点を、日本でKickstarterに手を出したことのある人間がどれだけ認識しているのだろうか。

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アームドファンタジアもペニーブラッドもクラウドファンディングは大成功した。そこに有志の懸命な努力があったことは事実だが、本来はそんな努力がなくても安心して支援出来るのが好ましいことを知って欲しい。

日本にとってのKickstarterゲーム開発案件の未来はまだ明るくはない。明るくするには課題が山積しているのである。

Walküre vs Yami_Q_ray. ”Are you crazy? Are you Serious?"

前回記事の続き。


10/13、10/20と続けてマクロスΔ関連のアルバムが発売された。
マクロスΔにおいて、歌姫枠に採用されたキャストが歌唱を担当したシリーズ完全新曲*1はこれで44曲となった。
内訳としてはTVシリーズ向けとして制作されたのが23曲、TVシリーズでは使用されていないボーナストラック扱いが2曲。劇場版1作目「激情のワルキューレ」が3曲で、劇場版2作目「絶対LIVE!!!!!!」は16曲。なんと全体の1/3が「絶対LIVE!!!!!!」だけで占められている。毎度歌にはかなりの力を入れるマクロスシリーズであるが、今回は特に力を入れていることがこの比率からもわかる。

その中で特に注目したいのが、"闇キューレ" の3曲。
設定としてはシャロン・アップル型AIの後継「セイレーン」が、ワルキューレディープラーニングして「ダークサイドな星の謡い手」を誕生させようとした…といったところで、この3曲はマクロスΔとしての歌曲の幅広さを更に補強しただけでなく、今後のマクロスシリーズに影響を与えかねないほどの可能性を秘めている。こういう曲がマクロスにあってもいい、という具体例を示しているからだ。
味方サイドと全く同じキャストを採用しながら曲や歌詞は方向性が完全に異質で、でもキャストが同じなので歌唱レベルは当然高いというのはマクロスシリーズでは今まであまり例がない。

歌詞には破壊・破滅・狂気・絶望・欲望やらの物騒なワードが立ち並ぶ。
闇堕ちではなく別キャラ扱いなのだが、歌い手がそのままなので頭はこれをワルキューレと認識しようとする混乱が心地よい。「Glow in the dark」「Diva in Abyss」はギターやドラムの攻めっぷりが非常に強く、ワルキューレ歌曲のそれすらも超える力強さを叩きつけてくる。JUNNA曰く「レコーディングこそ楽しかったが人間が歌う歌じゃない」とのことであるが、演奏も大概と言って良い。
ライブではこれを生演奏する気だろうか。
 
闇キューレ最後の曲であると同時にΔ新曲群44曲の(今のところの)最後となる「綺麗な花には毒がある」については、作詞西直紀・作編曲コモリタミノルという点が見逃せない。
フレイアがワルキューレに出会い、命果てるまで歌い続けたという流れをマクロスΔのメインストーリーラインとするならば「絶対LIVE!!!!!!」は確実に節目に位置しており、最後とは言わないまでもひとつの終わりであることには違いない。そこにΔ歌曲群一番最初の曲「いけないボーダーライン」制作陣と全く同じ面子で揃えて締めくくろうとする構成には声が出た。

そう、6年近い前の年末。初めて「いけないボーダーライン」を聴いた時の衝撃。
現代の王道ではない変化球を新作の看板曲として堂々投入するのかという困惑と共に、惹き込まれざるを得ない異様な歌唱力。その始まりを締めくくるには同程度の変化球では物足りない。だから一層、びっくりするほど癖の強い歌詞を。中毒性の高いリズムと捻りに捻った変化球を。そして6年分の成長した歌唱力を。
高音から低音まで縦横無尽に飛び跳ねる曲調は今の5人でないと歌えない。特にJUNNAは元から高かった歌唱力が更に伸びており、6年前でこれは歌えなかっただろう。歌唱力が伸びると荒削りな時の魅力が失われがちだが、その辺りは「初期の美雲の癖を残すように」とのディレクションがあったそうだ。確かな美雲らしさと同居するパワーアップした歌唱力のミックスに「成長したなぁ」と感じると共に、それを感じるだけの期間マクロスΔが続いてくれたのだという感慨も同時に覚える。

マクロスシリーズはいずれ次回作にそのバトンを渡すこととなる。その時、極限の歌唱力とこの超変化球歌曲群は後継にどのような影響を与えるだろう。これはシリーズのど真ん中を貫いたマクロスFの時には感じられなかった "今後への期待" だ。

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マクロスΔTVシリーズが要素過多をうまく整理出来ずに2クール目で少々グダってしまっている。この点についてはフォローのしようがない。そのグダってしまった部分をひとまずオミットしてわかりやすくまとめたのが「激情のワルキューレ」なら、「絶対LIVE!!!!!!」が目指したのはオミットされた部分の再構成と決着と言えるだろう。
シャロン・アップルの後継AIを登場させ全く別の姿で複数のバーチャルアイドルを同時に作り出し「歌は兵器なのか」という部分を強調してくる展開は、マクロスΔが当初狙ったマクロス7マクロスプラスの掛け合わせそのもの。
フレイアが寿命30年のウィンダミア人である設定も元から存在する。フレイアは長くは生きられないし、歌で命を燃やすと死が迫る。そこに「70過ぎても天才ぶりを遺憾なく発揮して無双する」マクシミリアン・ジーナスを配置することで、命の在り方を印象づける対比。
最後までぼやかしたままだった「レディ・M」についても、全てでこそないが正体と目的が明かされる。

要は料理の仕方があまり良くなかった。それを最終的にオミットではなく昇華させたという意味で、「絶対LIVE!!!!!!」はマクロスΔの完成形と言えるものになったのだと思う。
ちょっと? 変わってて癖があるけど力強さは桁外れ。そんなワルキューレを信じ続けて、本当に良かったと思う。そんなことを感じさせる劇場版関連アルバム2枚だった。

*1:ハインツ担当はメロディー・チューバック氏なのでここではカウントしていない。星間飛行など過去作の曲も除外。

今ここより再び始まる、新しき日々

繰り返される日常の中である日、非日常に出会う。驚きに満ち溢れた非日常的な体験から日常へ戻ると、その前と後では同じようで違う新しい毎日が始まる。物語の魅力とはそのような点にあるのだと思う。
自分の物語へ魅力を感じたルーツは何だっただろうか。

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■劇場版マクロスΔ 絶対LIVE!!!!!!
https://macross.jp/special/deltamovie2/

「なりたい自分にプリズムジャンプ!」じゃねーかとかニヤニヤしている場合ではなかった。
元々の設定をきちんと使い倒して来たなと思うと同時に、それが意味するは「ここが大きな節目である」ことも理解した。

ウィンダミア人は30年しか生きることが出来ない。それはワルキューレを取り巻く周囲では描写されてきたが、同じ運命を併せ持つフレイアに対しては仄めかす程度でクリティカルな部分まで切り込むことはしてこなかった。短い一生だからこそ強く輝いて生きるのだという設定は、シリーズにおいてフレイアのみが持つ本作最大のエッジである。
しかしここまで展開に含みをもたせるような締め方を行なってきたことで、「もしかしてフレイアはいつまでもいてくれるのではないのか」…そのように錯覚してしまう雰囲気が少なからずあったのではないだろうか。だがこのような設定を組んだ以上、必ずどこかでその決着をつけなければいけない。それを「絶対LIVE!!!!!!」はしっかりと行っている。


フレイアが風に召される。
三者的には、「人が命を散らすことを悲しまないなんて無理だろ」という話もあるだろう。だがフレイアにとって「やりたいことをやって生きること」「やらずに緩やかな死を迎えること」そのどちらが幸せであったかは、ここまで話をきちんと見ていれば一目瞭然のはずだ。だって歌に夢見て家出して、密航までしちゃう行動力の持ち主だったのだから。
思えば歴代マクロスシリーズも、メインを張った人物がその後いなくなることは当たり前のように行なわれて来たなと、風に召されるフレイアを見届けた後に思い出した。初代のミンメイ・輝・未沙はFLASHBACK 2012でメガロード1に乗って旅立つまでは描かれたが、その後音信不通ということになっている。マクロスプラスでガルドは対ゴースト戦で命を散らしているし、シャロンアップルはイサムに破壊された。マクロスFではサヨナラノツバサ終盤でアルトが遠くに行ってしまい、シェリルは命を燃やし過ぎて生命維持装置から未だ目覚めることが出来ていない。

シリーズ主要登場人物と同格のラインまでフレイアが "きちんと" 扱われたことは、それ自体が大変感慨深い。何故なら劇場版2作とも制作は全く既定路線ではなく、 "あの" ワルキューレ2ndライブで世界線が変動しなければフレイアの扱いは中途半端なまま次代へバトンタッチしていただろうからだ。
2ndライブのあの日のことを忘れることはないだろう。これで終わりかも知れない。しかしワルキューレの圧倒的な実力がこんな所で終わっていいはずがない。だから熱意を燃やし尽くすは今ここしかない。翌日の体調などという些細なことに構っている場合ではない。単純に期待値が高いだけなら幾つも経験はしたが、あれほど色々な感情ないまぜで挑んだライブは他にない。
「道半ばで終わるのは嫌だ」…それこそが2ndライブで抱えていた最も大きい気持ちだった。未来が繋がったからこそ辿り着けた場所で、きちんと運命に向き合ってひとつの区切りを迎えることが出来たのは、素直に良かったなあと思う。
ただこの辺りはあくまで個人の感想で、マクロスΔワルキューレにどこからどの程度思い入れがあるかで変わってくるだろう。


本作ではフレイアだけでなくワルキューレ以外の主要人物にも多めにスポットが当たっており、その中でも特にミラージュの扱いが大躍進した点も見逃せない。ミラージュは三角関係から脱落して以降の身の振りの描写がどうにも弱かったのだ。そこにマクシミリアン・ジーナスがやってきて、これがてきめんに効いている。
孫娘に対し「エースの素質はない」と言い切るマックス。エリート家系の生まれでありながら自分は劣っているのではないかと焦るミラージュ。悩んだ彼女はアラドの采配もあって、エースではなくリーダーとして才覚を表すようになり、自分の飛び方を知るようになる。
ああ、ミラージュがまるで落第生みたいなまま終わらなくて本当に良かった。ミラージュは格好いいのが一番いい。これも元々備えていた設定をきちんと使い倒してきた一例だ。

しかし本作におけるマックスの出番は相当なもので、「愛・おぼえていますか」より余程喋っているのには笑ってしまう。シリアスな展開が続くなかの清涼剤として盛られたサービス精神の一環とは思うが、ハヤテとマックスが背中合わせになるシーンなどはその極地と言っていいだろう。「40周年の今それやんの!?」と突っ込まずにはいられない。
そもそもマックスの名前は第一次世界大戦中にドイツが撃墜王へ勲章を授けたところから来ている。その受賞者にマックス・インメルマンという人物がいて、マクシミリアン・ジーナス通称マックスの名前はここから来ているのだが…背中合わせにハヤテ(・インメルマン)とマックスが並んでしまったら、元ネタそのまんまである。
マックスのみならず本作では過去作との繋がりやオマージュがふんだんに盛り込まれており、そちらの点でも見どころは多い。シャロンアップル型量子AIの後継が存在することを明言した点については、今後のマクロスシリーズに大きな影響を与える可能性があるだろう。

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楽曲面にも触れておきたい。
本作の敵対勢力ヤミキューレは、量子AIがワルキューレの歌を解析・ディープラーニングした結果誕生した存在ということで、ワルキューレのもうひとつの側面とも言えるだろうし歌っている中の人も丸っきり同じである。
元々ワルキューレの歌曲群には「どの歌がヴァールシンドロームに有効的に働くか」を探る設定があり、バラエティに富んでいた。そこをヤミキューレという捻り技で更に幅を広げて来たことで、歌曲の幅広さについてはマクロスシリーズ随一を誇るようになったと言っていいだろう。
素の状態なら「綺麗な花には毒がある」なんてものは出てこない。

このシリーズ随一の幅広さがシリーズに与える影響も大きい。
近年のマクロスシリーズにおいて、マクロスFの存在が非常に大きいことは今更語るまでもない。ただ、マクロスF菅野よう子という1人の天才によるもので、天才がどれだけの曲を作っても菅野ワールドの域を出ることはなかったのもまた事実だ。それに対しマクロスΔは作詞作曲を歌曲毎に入れ替える制作体制を構築している。この前作Fとは真逆を行く方向性が一定の成功を収めたことで、マクロスシリーズ全体での歌曲の厚さがより一層増すこととなった。
これは強い。シェリル・ランカ・ワルキューレを出すだけで極めてハイレベルな布陣になるし、実際にこの面子でコラボアルバムが制作されることも決定している。マクロスシリーズは不定期ではあるがクロスオーバー企画が立ち上がるため、今後も両者がタッグを組んでの展開は普通にありえるだろう。
マクロスの大きな魅力のひとつに歌がある。先輩達の顔に泥を塗ることなく、それをより昇華してみせたこと。それはワルキューレが残した大きな功績のひとつだ。

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ワルキューレは再び4人に戻る。でもワルキューレは5人でワルキューレ
美雲は確かに涙した。その事実が消えることはなく、これから先ワルキューレが歩むは彼女を知る前とは同じようで違う日常。
そう、物語はひとつの区切りを迎えた。

区切りを迎えたとしても、マクロスシリーズはこの先も続く。
マクロスシリーズに属している以上またどこかで出会える可能性があるというのは幸せなことだ。本編でシェリルが起きなくても新曲や新規映像が制作されることもある。そして本作最終盤における「あれ」の存在。これもひとつの種であろう。その種がいつか花開く日を願って、これからもワルキューレとともにありたい。
マクロスシリーズは40年目の船旅へ。そのような節目にこのような作品、ありがとうございました。

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桜に見出すその価値は。

もし桜の木にだけ時の流れが異常に遅くなり、その淡い色合いを年間通じて見ることが出来るようになったなら。人は桜が花開く様を喜び続けるだろうか。
一般的に見かける桜はソメイヨシノであることから、桜は一斉に花開き一斉に散ってゆく、というものになっている。そのあまりにも短い期間と横並びの様子に想いを馳せることは、作られた価値ではないだろうか。

季節を忘れるほどMMORPGにはまり倒していた頃は、桜をわざわざ見に行くことをしなかった。そのはまり倒していた時期を過ぎたとき、桜に対する感情に疑問を抱くようになった気がする。期間が短いという希少性を、ありがたがって価値を見出しているだけなのだ、と。
そんなことを思い出す。

 


人は幻想の中で生きている。
人には想像という、何もないところから価値を生み出すことが出来る。そして創造という行為をもって現実世界への干渉を繰り返し、積み上げてきた。経済でさえも「人と人との間に共通するもの」を定義することにより成り立っており、ゆりかごから墓場まで常に幻想の只中に。

だから価値は操作出来る。例えば桜のように。
また、誤った価値観で人を動かすことも出来る。
今そこにある価値とは、自分にとってどれだけ必要なものか。


そこまで価値の在り方を疑った上で、価値を生み出す行為とは楽しそうだなあと思う。だって、意図的に人を操作しているのと同じことだから。
新たな価値を想像し提供する立場にいる人らの中で、このような性悪なタイプと純粋に人を喜ばせたいと思う人、どちらが多いのだろうか。
社会的に成功するのは、前者だよな。

休息

思考を堂々巡りさせないための書き置き。
 
今年に入ってから具合がすぐれない。持続可能な状態を維持しきれていない。そんな状況に危機感を覚え、上司に「しんどいです」と報告した。順調に仕事が出来ていると思っていた上司はだいぶ驚いていたが、社会に見せる顔と本来の自分は違うのだから、驚かれるのも無理はない。
 

自分という人間が昔から今に至るまで社会に迎合しきれないままということは、自分がよくわかっている。「あなたは男に生まれたのだから男としてしっかり生きなさい」という "社会の圧" に対しては、玉を切り落とすという極端過ぎる行為で強制否定することによって決着させた。普通の人はそこまでしなくとも折り合いがつけられるのであろうが、出来なかったのだ。
ありえないほど生き方が不器用。
 
不器用ながらも決着することで幾らかは心に余裕が生まれ、一方で社会に対してはそれを黙ることで、迎合したフリをする。これがその場凌ぎであることは明らかで、自分が窮地に立たされるようなことがあった時に非常に潰れやすいこともわかっていた。そうならないように立ち回ることが重要だとも。
だが、自分だけが都合よく立ち回るようなことが出来ない時代がやって来る。折り合いをつけるのが下手クソという弱点が再び露呈し、それが徐々に「体調がすぐれない」として表面化して来ている…といった具合。

上司には「組織としてすぐに解決策を講じることも出来ないが、情報は組織内できちんとシェアする。伝えてくれてありがとう」とは言ってもらえた。回答としては想定通りに過ぎないが、話を真正面から聞いてくれるだけ今の上司は理解があって助かる。
急な対処がとれないなか、それでも何とか持続させねばならない。「辛かったら休め」を真に受けて休職したりするとその後が倍以上大変になるのは、10年ちょっと前に経験している。とはいうものの、持続には休息が必要なのも間違いない。


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そこで休息は何かと直近の生活を振り返ってみると、「積みゲーを崩す」という行為を今年に入って生活の中に取り戻したことが、調子がすぐれない要因を生み出しているのに気がついた。数年前に発売されパッチやDLCの提供も終わったものを幾つか取り組んでいたのだが、「ゲームは息抜き」などとは微塵も考えない性格が災いしてか、ゲーム時間を無闇に増やすと身体が休息時間とカウントしていないようだ。
またゲームを通じて語られる物語が、現実の状況がアレ過ぎて「絵に描いた餅」にしか見えなくなっているのもストレスの要因になっている。同じ理由で小説も近頃は手に取ることがほとんど出来ていない。
本当に全く何もしないか、何も考えなくて済む時間というものが大切らしい。

それとこの1年で痛感したことは、自分は都会に憧れる田舎者が根底にあって都会人になり切ることは出来ないということだ。恐らく将来的には都会を離れて生活した方が良い。
本当に場所を選ばないで済む仕事であるならば、住処はどこでも良いはずである。その理想に辿り着くための手段は多分幾つかはあるが、手段へ踏み出すためにも、やっぱりちゃんと休息は取らないといけないのかも知れない。
きちんと休むということは、わかったつもりでわからないものだなあと思う。