秘境

小笠原を6月に再々訪する予定だった。というのを去年の10月から算段を立てていた。

2月くらいにはこうなるだろうことは何となく予想がついており、リクエストのキャンセルをしようと決断したのが観光協会の自粛要請が出る少し前。
そこに自分個人の「残念だ」という気持ちはない。
 

初めて行ったのが返還20周年の1988年。次に行ったのが返還50周年の2018年。
30年の間に島は変わらぬようで変わっていた。30年前はNHK総合だけで教育テレビすら映らなかったのに、30年経ったら全ての住居にブロードバンドネットワークが敷設されていた。30年前に島寿司を食べた店の周りは、30年経ったら殆ど建て直されていた。30年前はおがさわら丸に宿泊していたが30年経ったら船には基本的に宿泊出来なくなっており、アクティビティの充実も含め国立公園としての観光地化が大きく進歩していた。

その進歩に、だから一瞬忘れそうになる。だがあそこは秘境なのだ。
24時間船に乗り続けない限り辿り着けないほど遠い、秘境。


島で大きな病気をしてしまうと大変だというのは島の方からも聞いた。昔より少しだけマシにはなったらしいのだが、それでも本当にほんの少しだけ。どのみち本土は近くない。
島の方々はそこに住んでいる。平時であれば遊びで行くのは大いに結構だが、仮に持ち込みが「起こってしまった」ら、その時のどうにもならなさは全くもって本土の比ではない。これは小笠原に限らず、離島だったら概ね似たようなもの。
だからこそ自分個人の「残念だ」という気持ちの入る余地などない。そんなもの差し込んではならない。あの島が好きなら、好きだからこそ島の方の生活を脅かす要因を決して持ち込んではならないのだ。

星の輝きは1988年も2018年も変わっていなかった。
遊びで行くなら機会は改められる。輝く満天の星空よ、いずれまた会おう。

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ご時世がご時世なので自宅にいる時間が何時になく長いため、部屋の整理整頓をすることにした。
思えばこの6~7年、休みになると大抵出掛けてしまうため部屋の整理が壊滅的に止まってしまっていた。やらないとなーいつかやらないとなーとわかっていながら先送り。先送りしている間に増えていく所有物。
今は自分に向き合う時期なのだと思うこととし、地層のようになっている各種あれやこれを掘っては分類、掘っては分類。やり始めると意外な発見があったりするもので、何年か前と今では所有物の「自分の中での優先度」に若干変化があったりもしている。

自分にとって大切なこと・大事なことは何だろうか。
それを改めて問われている。今はそういう時期。