桜と共に思い出す、いつか想い出になった物語

いつか想い出になる物語。
自分がμ'sに入れ込むようになった2013年年初、早々に直感したのがこの言葉だった。この言葉はそのまま以後の決意ともなる。そうなろうとするために。

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流行りに乗り切れると限らない自分が、大きくなっていく流れの只中にいるのは珍しいことだった。そんな機会、次にいつあるかわからない。そしてコンテンツというのは必ず終わりがやってくる。喪失感で色々なものを台無しにする過去の失敗を繰り返さぬよう、想い出を作りつつも消費消耗し過ぎず、振り返ることが出来るだけの余地を残すようにしてきた…そういう3年強だったのだと思う。
想い出を作る方面で最もハイペースだったのは2014年。ワンマン以外のライブにμ'sが多数参加した年でもあり、行けるだけ行くことに努めた。友人にも色々助けて頂いた。

その勢いを受けて迎えた2015年のμ'sワンマンライブ。ここでストレートにライブ次回予告が出なかったことで違和感を覚える。またコピーライトの西暦が更新されないことからも「ああ、これは畳みにかかるな」というのを感じ取ることが出来た。劇場版で2015年のコピーライトが追加されたが、元の「プロジェクトラブライブ!」は2013~2015といった様にはしていないからだ。
更に2015年夏のファンミーティングツアーである。あれは感謝を兼ねる修学旅行のようなものだ。ファンミーティングツアー2017とかはないな、と思った。なお幕張と長野に参加し、とても楽しかったことは書き添えておく。

そんな違和感から、自分の中の流れも"以後"へ向けるよう心の準備を進めることにした。
それを言及回数の減少から鋭く察知した友人がいた。本当によく見ていると思う。興味を失っているから減っていたんじゃない。ここで大騒ぎしているといきなり襲い来る喪失感で動けなくなってしまう…いつか想い出にするためには長い準備期間が自分には必要だった。もう、あまりにも、それだけのものを受け取っていたから。


結果的には「いつか想い出になった物語」への移行はかなりスムーズに出来たと思っている。コミック連載あるしスクフェスもアーケードへ展開するなどμ'sを見かける頻度は減りつつも残っているが、減っていることへの喪失感や寂しさは然程ない。夏コミへの寄稿および同人誌編集に3月から8月まで関わっていたことも大きい。十分過ぎるほどのマージンは取っておいて良かったと思う。
3年と少し前の直感と決意は無事に果たされた。

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ファイナルライブ当日は桜が満開だった。
外濠から水道橋方面を見た時、川の両側を埋める桜並木は9つの魂を導くための道のようにも見えた。きっと1年に1度桜の季節がやって来ると、東京ドームに導かれる9人を思い出すのだろうと思う。
景色に感情は紐付けられ、感情はそこに置いていかれ再び出会って思い出す。未だに「恋愛の時空」を春になるたび聴いているように、最低でも年1度思い出すきっかけが出来たなら、μ'sとの付き合いはとても長いものになっていくのだろう。10年後も、20年後も。きっと。

想い出と共に生きる日々。あのかけがえのない日々。
感謝しかない。ありがとう。