由来

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三越x艦これ第6次コラボ前段作戦が一部到着。
いつもと比べてパッケージがちょっとシンプルだなと思ったら、この2つは食品製造元が三越伊勢丹なのね。このコラボシリーズは「三越が全国の素敵なお店の商品をコラボ通じてご紹介」なことも多く、コラボをきっかけに後々通常販売品をリピートすることも結構ある。次に届くはずの赤ワインはご紹介のパターン。

後段は春の終わり頃を予定していたらしかったけど、アレの影響で延期中。さて、どのくらい延びるやら。

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今回はblog名の話でもしようと思う。
個人的なことを呟くこのサブblogと、あまり更新していないメインblog双方で採用している5560という数字は、(生年ではないが)自分の誕生日に発見された小惑星の番号から持ってきている。

地球から離れた場所に住処があり、そこで1人で隠居生活しながら時折ガヤガヤしている元居た地球を覗くイメージを描いた。ネットワークゲーム上のアバター名もこの小惑星を由来にしている。
小惑星から名前を取ると決めた10年前は、(ウチには子孫を残す機能もなくなった訳だし)もう隠居でいいだろうと本当に思っていた。実際にはその後熱中するものが続けて出て来ちゃったりしたので全然隠居になっていなかったんだけど。

しかし2020年に突然ご時世が大変なことになった。
落ち着くまでSNSでの発言をやめることにし、精神衛生上の安定を図るため情報収集も本当に必要な分だけに絞り、用がなければ家から出ず、万が一を考えて親との接触も最低限。この殆ど1人で自分と向き合い続ける生活は、blog名のイメージに結構近いなと感じる。まさかこんな形であの時のイメージを再認識することになるとは思っていなかったが。

いつか本当に隠居生活を送りたいものである。
考えていなかったわけではないものの、実現にはまだ色々足りないようだ。

秘境

小笠原を6月に再々訪する予定だった。というのを去年の10月から算段を立てていた。

2月くらいにはこうなるだろうことは何となく予想がついており、リクエストのキャンセルをしようと決断したのが観光協会の自粛要請が出る少し前。
そこに自分個人の「残念だ」という気持ちはない。
 

初めて行ったのが返還20周年の1988年。次に行ったのが返還50周年の2018年。
30年の間に島は変わらぬようで変わっていた。30年前はNHK総合だけで教育テレビすら映らなかったのに、30年経ったら全ての住居にブロードバンドネットワークが敷設されていた。30年前に島寿司を食べた店の周りは、30年経ったら殆ど建て直されていた。30年前はおがさわら丸に宿泊していたが30年経ったら船には基本的に宿泊出来なくなっており、アクティビティの充実も含め国立公園としての観光地化が大きく進歩していた。

その進歩に、だから一瞬忘れそうになる。だがあそこは秘境なのだ。
24時間船に乗り続けない限り辿り着けないほど遠い、秘境。


島で大きな病気をしてしまうと大変だというのは島の方からも聞いた。昔より少しだけマシにはなったらしいのだが、それでも本当にほんの少しだけ。どのみち本土は近くない。
島の方々はそこに住んでいる。平時であれば遊びで行くのは大いに結構だが、仮に持ち込みが「起こってしまった」ら、その時のどうにもならなさは全くもって本土の比ではない。これは小笠原に限らず、離島だったら概ね似たようなもの。
だからこそ自分個人の「残念だ」という気持ちの入る余地などない。そんなもの差し込んではならない。あの島が好きなら、好きだからこそ島の方の生活を脅かす要因を決して持ち込んではならないのだ。

星の輝きは1988年も2018年も変わっていなかった。
遊びで行くなら機会は改められる。輝く満天の星空よ、いずれまた会おう。

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ご時世がご時世なので自宅にいる時間が何時になく長いため、部屋の整理整頓をすることにした。
思えばこの6~7年、休みになると大抵出掛けてしまうため部屋の整理が壊滅的に止まってしまっていた。やらないとなーいつかやらないとなーとわかっていながら先送り。先送りしている間に増えていく所有物。
今は自分に向き合う時期なのだと思うこととし、地層のようになっている各種あれやこれを掘っては分類、掘っては分類。やり始めると意外な発見があったりするもので、何年か前と今では所有物の「自分の中での優先度」に若干変化があったりもしている。

自分にとって大切なこと・大事なことは何だろうか。
それを改めて問われている。今はそういう時期。

未だ醒めぬ夢、いつか醒める夢

ワルキューレ4thシングルのジャケが公表されましたね。
4thシングルですって。3rd以降は未だ醒めぬ夢のよう。
アー写見たら東山さんがお腹出しててびっくりした。


奇跡など起きなければそこで終わるはずだった2ndライブを乗り越え、開催された3rdライブ。観た時に抱いた気持ちは、「これより上って何だろう」。
次が楽しみですというより、次の想像がつかないものを観た気持ちだった。その「次」にあたる曲が、もうすぐやってくる。
 
ワルキューレは純然たる声優ユニットではない。
アニソンの範囲外からやって来たJUNNAちゃんという超長距離射程主砲の存在があってこそ、このユニットは既存の殻をブチ破ることが出来たのだと思う。いくら潜在能力があったとしても彼女は今作が商業デビューだったが、それをベテラン勢が支え、また良きライバルが居た。
あの気が狂ったような(というより狂っている)コーラスワークをライブだろうが音源収録だろうがそのままやってしまう方向性は、そうそう真似出来るものではない。ワルキューレ以後、アニソンライブに何を期待して行けばいいのだろうという気持ちが少なからずある。幸い今は絶賛活動中だけども、長くなった夢もいつかは醒める時が必ずやって来る。
そしてその醒める時は、望もうが望まなかろうがきっとそんなに遠くない。それはマクロスがシリーズものであるがゆえに。挑戦的な曲名の向こうに描かれる歌詞はどんなものであろうか。
そして、その歌詞の向こうに自分は何を見ることになるのだろうか。

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世間の動向があまりにもアレにつき、落ち着くまではSNSでの発言はお休みしています。とてもじゃないが見てられない。
その間は生存報告がてらの日記とその通知でしのぎます。

物語の想像力と現実

4月も間近だという時期に雪が降り、雪が理由だからではないが部屋で本を読む。本のタイトルは「プロジェクトぴあの」。5年半前にPHP研究所から刊行されており、早川書房から文庫版として改めて出ることとなった。
PHP研からの刊行当時に一度読んでいる物語なのでそんなに急ぐつもりはなかったが、これを「山本弘ハードSFの最終決算」と銘打たれてしまうとつらい。

▼「これは "ハードSF作家・山本弘" の遺書だと考えてください。」『プロジェクトぴあの』著者あとがき全文公開
https://www.hayakawabooks.com/n/nf9f666619589


氏による著作「地球移動作戦」の前日談でありながら、後の展開が決まっている物語にありきたりな着地など知るかとばかりに、結城ぴあのの歩みはあまりにも力強く輝いていた。その瞳は最初から最後まで人々の手の届かないほど遠くを向いている。そんな光り輝く物語だったからこそ、次の大型ハードSFを切望していた。
それが今となっては難しいことを、後書きで著者が語っている。

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SFはリアリティを担保するために、多くの「嘘ではない」ことの中に「嘘」が入り混じり、その条件下で思考実験が展開されてゆく。もしかしたらあり得るかも知れない未来に心を躍らせることが出来るから、SFを読むのだと思う。
もちろん物語は必ずしも心躍らせるものばかりとは限らない。起きて欲しくない嘘を元に展開されることもある。平時においては、そういう嘘も「まあそういうこともあるかも知れない」程度に受け止めながら読む。

だが今世間は、そして世界は平時ではない。三流SF以下のような大混乱に陥っている。正直そのことについてあまり書きたくはないが、現実である。
このような時に物語を読む・得ることの意義を自分に投げかけてしまう。物語は結末がどうであれ、曲線としては整理されているものだ。現実は整理などされていない。「いや物語中だと何だかんだあって落ち着くところに落ち着きますけどね、本を閉じた後の現実はそんな救いのある状況じゃないんですよ」と、無力感を覚えそうになる。
従って、精神的にタフなわけではないのでせめて読む本…というか摂取する情報については、幾らか絞らざるを得ない。プロジェクトぴあのは比較的影響が薄い部類の物語だが、それでも「どの方向も行き止まりで、未来なんかないのかも知れない」みたいな一節や、途中で遭遇するスーパーフレアによる経済的打撃のくだりは流石に読んでいて苦しくなる。もっとも、物語においてはその閉塞感は主軸ではなく結城ぴあのがグングンと突き進むのでほんの一瞬程度で済むのだが。
一方、パンデミックそのものを扱う「復活の日」や「天冥の標」の特に第2巻などは、今の気分ではとても読めたものではない。


しかしひとつだけはっきり言えることは、本の虫とまでは言わずともSFを好き好んで読んで来たことは無駄ではないどころか、タフな精神を持ち合わせていない自分にとっては今重要な補助になっているということだ。物語を読み進めながら、自分はどう動くだろう? 何を考えるだろう? という想像をする。そうして想像して来たことが間接的には役立っている。
「自分に出来ることは限られている」「その範囲内に限っては努力はする」「個人が世界を変えることは出来ない」「せめて手の届く範囲内で意識を変えることを試みる」「そこまでしてやってもどうにもならないなら、それはもう野となれ山となれでしかない」「変に憶測で希望的観測や感情を持たない」。そして自分自身の精神衛生を守るため、平時であれば広げる情報のアンテナを縮めること。
2011年の地震の時にも感じたが、先の見えない不安に対する個人の気ままな発言は良くも悪くも無責任で、受け止める側の心境など誰も知ったことではない。自分としては感情を切り捨て粛々とやるべきことをやり時期が過ぎるのを待つしかないと思っているが、非常事態にSNSは雑音の発信源でしかなくなっている。SNS黎明期だったら違ったかも知れないが、残念ながら今は全体像としてそうではない。だから今は自分という範囲を、本当に必要な部分にまで縮めないととてもやりきれない。


平時でないと出来ないこと・平時でないからこそ役立つことというのが、これほどはっきり実感する機会もないだろう。色々落ち着いたらアンテナを幾らか戻し、そして摂取範囲を幾らか縮めているSFもまた手広く読みたいと思う。いつしかまたやって来るかも知れない何らかに向けて、想像と思考実験を養うために。

もし仮に。
運が悪く人生が道半ばで終わるようなことであったとしても。
ウチは11年程前に人生の延長権を得たような人間です。そのエクストラステージが終わるだけなので、やり残したことが大量にあっても悔いがないと言えばないのかな。あの延長なかったら今頃自分で命を断ってたはずですので。
手にした以上、エクストラステージが少しでも長持ちするようには足掻きますけどね。人間の足掻きなんてたかが知れてるとは思うけど。

10年前の君へ

10年が経った2018年11月1日。無事に今日という日を生きている。
楽しい10年になったと思う。それまでとは比べようがないほどに。
あの日は男性にとっては最重要であろう、睾丸を摘出するという選択を実行に移した日だった。あの時あの選択を取れていなければ、冗談ではなく今無事にこうしてはいられなかっただろう。

直近での進展は何もないが、この10年で変わったことと変わっていないことがある。変わった部分は10年前の自分は知らない。そんな10年前の自分が "もし未来の自分を垣間見ることがあったら" という設定のもと、総括として記したいと思う。
あの時知りたかった、その答えとなるように。

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自分にとっては不思議なこと、しかし誰にとってもそうとは限らないこと。
「男に生まれ、男として老いたい等と誰が望んだ?」

「何故だろう?」という思いは小さい頃から抱えていた。男らしいと言われることに強く拒否反応があり、髪を短く切ったら「さっぱりして男らしいね」と、じゃあ短くなきゃいかんとでもいうのか。身体を鍛えれば男らしいというのであればそんなものはお断りだ。
普通は、年齢を重ねるにつれ現実と向き合い、受け入れ、折り合いをつけていくものだと思う。実際そうしようとしていた時期もある。しかし出来なかった…というより、20歳を少し過ぎた頃から悪化した。壮年に向けた変化はこの時期から出始める。無理なものは無理だった。

とりあえず、逃げた。
学生身分でなくなってから実際に手術で摘出をするまでの10年弱生き長らえたのは、単に逃避していただけに過ぎない。特に20代後半は仕事の環境があまり良くなく、自分の知識不足や能力不足が重なり「よくあれで辞めなかったな」というくらいに、出口が見えない日々が続いた。ただそのお陰で自分自身のことは考える暇が少なくて済んでいた。
しかしそんな逃避もずっとは続かない。30歳になり、逃げ続けていたことがいよいよ猛然と鎌首をもたげる。かなり深刻なレベルで身に危険を覚え始めた。

情報は五感を通じて入ってくる。
その五感は身体に備わる器官であり、その身体自体に「何故?」を抱えると何が起こるか。全てにドス黒いフィルターがかかる。
良い方向に何も転ばない。空を見上げても清々しい気分になることはない。季節の移り変わりを感じることは歳を重ねることであり、受け入れ難き方向への老化が進むことになる。寝て誤魔化したところで、起きても状況は変わらない。そんなに嫌なら死ねばよかったものを、試みたことがあり完遂出来る勇気がないことがわかってしまっていた。
今からすれば遥かに遠く、でも確かにそこにあった暗い日々。

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そんな頃にtwitterに触れた。
当時のtwitterはメジャーな存在ではなく、はてな村の延長線上的な雰囲気にあった。黎明期だったこともあり様々なものの距離が近く、色々な考えの人に触れやすい世界。
色々な考えの人がいる。それぞれ生きている。だったら、自分の中でおかしいと思っていることは、世間体を理由に自分の中で押し殺し続けなくて良いのではないか? 実行に移して良いのではないか? ようやくここで "変える" ことに対する自信を持てるようになる。
ログによればtwitterに新規登録したのが2008年の1月で、日常的に使うようになったのがGW頃。摘出を考え始めたのが8月後半で、9/26には手術までの段取りが確定している。3~4ヶ月程で人生に関わる事態が急転直下を起こしており、それほどまでに当時のtwitter社会というのは衝撃的な存在だった。

自分の場合、向こう側の性別へ渡ることを目的としていなかった。持って生まれたものを否定する属性でありたいだけで、落としどころとしてはニュートラルに近い。そのため男の根源を断ってしまうことが最小限の手段で最大の効果だった。断ってしまえば男性ホルモンの分泌は95%が止まる。


webでカミングアウトした際には様々な反応を頂いた。「自分の選ぶ道だから責任持てるなら良いのでは」から、ただの興味本位、「そんなのやめろ」まで。反応は頂いたが方針の参考にすることはなかった。何よりもう時間がなく、30歳を過ぎると壮年化が加速し始め、以降は摘出しても効果が薄くなる。
また、不確定の未来を待てるだけの余裕も既になかった。もし将来的に結婚することがあった時、その取り返しのつかない手段は本当に取り返しのつかないこととなってしまう。後から子を持ちたくても持てない。しかしそのあるかも知れない未来はやってこないかも知れない未来でもある。かも知れないで時限爆弾を抱える生活は憔悴していくだけで、なりたくなかった姿はより悲惨なことに…そういうビジョンしかなかったし、そんなものは見たくなかった。そもそも見たくないから年齢を重ねる毎に事態が悪化してきたのだ。これ以上悪化したら再び鏡さえも見られなくなる。

可能性の低い未来と決別し、可能性が高い方の確率を高める必要がある。
ここで結婚もせず子も持たずと決めてさえしまえば、「子孫を残す」ためのこの部位は全く必要がなくなる。死ぬ勇気がない以上、今の自分を守る。それを摘出という「金を出せば解決」する手段で実現出来るのであれば、40万なんて本当に安い金額だった。

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手術後の心境の変化を辿る。
これには大きく2段階あった。ひとつは、悩みが丸ごとなくなったこと。望んでいたことそのものだ。
必要としなかったので、摘出しただけでホルモンを足すことはしなかった。それでもバランスは劇的に変化したことから、身体的な変化も多岐に渡る。ざっと挙げていくと髪は細くなり男性特有のマットな質ではなくなり、生え際の後退は完全に止まり、体臭もほぼ消滅した。皮膚は薄くなるので肌のキメは細かさを取り戻し白くなった。後ろ姿のシルエットだけではどちらだか判別がつきづらいらしい。血液検査は術後、明らかに男性としては普通ではない数値を出すようになり、一部は異常値が出っぱなしとなった。

「男としての一般的な老け方」にブレーキがかかり焦る必要はなくなったことで、常にかかっている「ドス黒いフィルター」も消え、抱え続けた悩みに割かなければいけない膨大なリソースは丸ごと浮いた。この丸ごと浮いて「ぽっかり空いた分どうすれば埋まるの?」というのが心境の変化に相当する。
すぐに解決はしなかったものの「楽しいと感じるもの」はその後自然と増えていき、この穴を埋めていった。五感から入ってくる情報が不必要にマイナス側へ引っ張られることがなくなるだけでこうなのかというのはショックではあった。そんなことで悩まない普通の人というのは、10代20代からもっと楽しかったんだろうか。
そこは悔しいとか考えないことにした。


もうひとつは、手術後少しして秋葉原へ行った時に起きた。
同人・商業流通関わらず、いわゆる年齢制限がかかるようなその手の絵について、目に入ってくる情報自体は手術前後で変わってないのに全く何とも思わなくなっていた。その方面に対して感受性が欠如したというか、そのような絵が絵であること以上には意味を持っていない。
これにはかなり驚いた。何しろ秋葉原行って店入って品揃えを見たという行為が同じで、感じ方という出力結果だけが突然変わっている。

この出来事を通じて、感じ方が身体に極めて左右されるのであれば人間の心は身体と独立した確固たるものではなく「身体の支配下にある、存在するように錯覚しているだけの幻」だと考えた。自分の中で当たり前と思っている感覚は器官の受容の総合体に過ぎず、もしかして後天的に何かが強く影響すれば、自分が気付かないまま変化している可能性も。
もっと極論すると「摘出して悩まなくなり楽しいことが増えた」も、実在しない幻なんだろうなとも。哲学や悟りめいた考えに至るようなことは、想定していなかった変化だった。求めていたのは身体面の変化だが、考え方の変化の方が大きかったかも知れない。

虚構を前提に、人間の起こす活動に関しては一歩引いて見るようになったが、そこに虚しさはあまりない。なぜなら、手術より前の方がずっとしんどかったから。だから「生きている」のであれば、例え感情や心が仮初めのものであっても楽しいものは楽しくありたい。そう思うようにした。

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あれから10年。
本来こんな爆弾など最初から抱えないに越したことはなく、相当遅れた人生の再スタートだなとは時々思う。それでも、遅かったとしても何もしないよりかはずっと良い。
踏み切らなかった未来、自分が辿っていない世界線での2018年のことは想像したくないし、そんな自分と出会うことはもう無い。

10年前とは周囲の環境は大きく変化した。結婚や子育てをする人が増えた。それは(大変かも知れなくても)極々普通の生き方。
自分のしていることは明らかに一般的ではない。後世に継ぐことが出来ないため、人としての役割までも捨てていると指摘されても否定は出来ない。それでも、これは自分にとっての人生で最良かつ正しい選択だった。

そう言い切れるようになったことを、10年前の自分への回答としたい。