10年前の君へ

10年が経った2018年11月1日。無事に今日という日を生きている。
楽しい10年になったと思う。それまでとは比べようがないほどに。
あの日は男性にとっては最重要であろう、睾丸を摘出するという選択を実行に移した日だった。あの時あの選択を取れていなければ、冗談ではなく今無事にこうしてはいられなかっただろう。

直近での進展は何もないが、この10年で変わったことと変わっていないことがある。変わった部分は10年前の自分は知らない。そんな10年前の自分が "もし未来の自分を垣間見ることがあったら" という設定のもと、総括として記したいと思う。
あの時知りたかった、その答えとなるように。

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自分にとっては不思議なこと、しかし誰にとってもそうとは限らないこと。
「男に生まれ、男として老いたい等と誰が望んだ?」

「何故だろう?」という思いは小さい頃から抱えていた。男らしいと言われることに強く拒否反応があり、髪を短く切ったら「さっぱりして男らしいね」と、じゃあ短くなきゃいかんとでもいうのか。身体を鍛えれば男らしいというのであればそんなものはお断りだ。
普通は、年齢を重ねるにつれ現実と向き合い、受け入れ、折り合いをつけていくものだと思う。実際そうしようとしていた時期もある。しかし出来なかった…というより、20歳を少し過ぎた頃から悪化した。壮年に向けた変化はこの時期から出始める。無理なものは無理だった。

とりあえず、逃げた。
学生身分でなくなってから実際に手術で摘出をするまでの10年弱生き長らえたのは、単に逃避していただけに過ぎない。特に20代後半は仕事の環境があまり良くなく、自分の知識不足や能力不足が重なり「よくあれで辞めなかったな」というくらいに、出口が見えない日々が続いた。ただそのお陰で自分自身のことは考える暇が少なくて済んでいた。
しかしそんな逃避もずっとは続かない。30歳になり、逃げ続けていたことがいよいよ猛然と鎌首をもたげる。かなり深刻なレベルで身に危険を覚え始めた。

情報は五感を通じて入ってくる。
その五感は身体に備わる器官であり、その身体自体に「何故?」を抱えると何が起こるか。全てにドス黒いフィルターがかかる。
良い方向に何も転ばない。空を見上げても清々しい気分になることはない。季節の移り変わりを感じることは歳を重ねることであり、受け入れ難き方向への老化が進むことになる。寝て誤魔化したところで、起きても状況は変わらない。そんなに嫌なら死ねばよかったものを、試みたことがあり完遂出来る勇気がないことがわかってしまっていた。
今からすれば遥かに遠く、でも確かにそこにあった暗い日々。

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そんな頃にtwitterに触れた。
当時のtwitterはメジャーな存在ではなく、はてな村の延長線上的な雰囲気にあった。黎明期だったこともあり様々なものの距離が近く、色々な考えの人に触れやすい世界。
色々な考えの人がいる。それぞれ生きている。だったら、自分の中でおかしいと思っていることは、世間体を理由に自分の中で押し殺し続けなくて良いのではないか? 実行に移して良いのではないか? ようやくここで "変える" ことに対する自信を持てるようになる。
ログによればtwitterに新規登録したのが2008年の1月で、日常的に使うようになったのがGW頃。摘出を考え始めたのが8月後半で、9/26には手術までの段取りが確定している。3~4ヶ月程で人生に関わる事態が急転直下を起こしており、それほどまでに当時のtwitter社会というのは衝撃的な存在だった。

自分の場合、向こう側の性別へ渡ることを目的としていなかった。持って生まれたものを否定する属性でありたいだけで、落としどころとしてはニュートラルに近い。そのため男の根源を断ってしまうことが最小限の手段で最大の効果だった。断ってしまえば男性ホルモンの分泌は95%が止まる。


webでカミングアウトした際には様々な反応を頂いた。「自分の選ぶ道だから責任持てるなら良いのでは」から、ただの興味本位、「そんなのやめろ」まで。反応は頂いたが方針の参考にすることはなかった。何よりもう時間がなく、30歳を過ぎると壮年化が加速し始め、以降は摘出しても効果が薄くなる。
また、不確定の未来を待てるだけの余裕も既になかった。もし将来的に結婚することがあった時、その取り返しのつかない手段は本当に取り返しのつかないこととなってしまう。後から子を持ちたくても持てない。しかしそのあるかも知れない未来はやってこないかも知れない未来でもある。かも知れないで時限爆弾を抱える生活は憔悴していくだけで、なりたくなかった姿はより悲惨なことに…そういうビジョンしかなかったし、そんなものは見たくなかった。そもそも見たくないから年齢を重ねる毎に事態が悪化してきたのだ。これ以上悪化したら再び鏡さえも見られなくなる。

可能性の低い未来と決別し、可能性が高い方の確率を高める必要がある。
ここで結婚もせず子も持たずと決めてさえしまえば、「子孫を残す」ためのこの部位は全く必要がなくなる。死ぬ勇気がない以上、今の自分を守る。それを摘出という「金を出せば解決」する手段で実現出来るのであれば、40万なんて本当に安い金額だった。

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手術後の心境の変化を辿る。
これには大きく2段階あった。ひとつは、悩みが丸ごとなくなったこと。望んでいたことそのものだ。
必要としなかったので、摘出しただけでホルモンを足すことはしなかった。それでもバランスは劇的に変化したことから、身体的な変化も多岐に渡る。ざっと挙げていくと髪は細くなり男性特有のマットな質ではなくなり、生え際の後退は完全に止まり、体臭もほぼ消滅した。皮膚は薄くなるので肌のキメは細かさを取り戻し白くなった。後ろ姿のシルエットだけではどちらだか判別がつきづらいらしい。血液検査は術後、明らかに男性としては普通ではない数値を出すようになり、一部は異常値が出っぱなしとなった。

「男としての一般的な老け方」にブレーキがかかり焦る必要はなくなったことで、常にかかっている「ドス黒いフィルター」も消え、抱え続けた悩みに割かなければいけない膨大なリソースは丸ごと浮いた。この丸ごと浮いて「ぽっかり空いた分どうすれば埋まるの?」というのが心境の変化に相当する。
すぐに解決はしなかったものの「楽しいと感じるもの」はその後自然と増えていき、この穴を埋めていった。五感から入ってくる情報が不必要にマイナス側へ引っ張られることがなくなるだけでこうなのかというのはショックではあった。そんなことで悩まない普通の人というのは、10代20代からもっと楽しかったんだろうか。
そこは悔しいとか考えないことにした。


もうひとつは、手術後少しして秋葉原へ行った時に起きた。
同人・商業流通関わらず、いわゆる年齢制限がかかるようなその手の絵について、目に入ってくる情報自体は手術前後で変わってないのに全く何とも思わなくなっていた。その方面に対して感受性が欠如したというか、そのような絵が絵であること以上には意味を持っていない。
これにはかなり驚いた。何しろ秋葉原行って店入って品揃えを見たという行為が同じで、感じ方という出力結果だけが突然変わっている。

この出来事を通じて、感じ方が身体に極めて左右されるのであれば人間の心は身体と独立した確固たるものではなく「身体の支配下にある、存在するように錯覚しているだけの幻」だと考えた。自分の中で当たり前と思っている感覚は器官の受容の総合体に過ぎず、もしかして後天的に何かが強く影響すれば、自分が気付かないまま変化している可能性も。
もっと極論すると「摘出して悩まなくなり楽しいことが増えた」も、実在しない幻なんだろうなとも。哲学や悟りめいた考えに至るようなことは、想定していなかった変化だった。求めていたのは身体面の変化だが、考え方の変化の方が大きかったかも知れない。

虚構を前提に、人間の起こす活動に関しては一歩引いて見るようになったが、そこに虚しさはあまりない。なぜなら、手術より前の方がずっとしんどかったから。だから「生きている」のであれば、例え感情や心が仮初めのものであっても楽しいものは楽しくありたい。そう思うようにした。

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あれから10年。
本来こんな爆弾など最初から抱えないに越したことはなく、相当遅れた人生の再スタートだなとは時々思う。それでも、遅かったとしても何もしないよりかはずっと良い。
踏み切らなかった未来、自分が辿っていない世界線での2018年のことは想像したくないし、そんな自分と出会うことはもう無い。

10年前とは周囲の環境は大きく変化した。結婚や子育てをする人が増えた。それは(大変かも知れなくても)極々普通の生き方。
自分のしていることは明らかに一般的ではない。後世に継ぐことが出来ないため、人としての役割までも捨てていると指摘されても否定は出来ない。それでも、これは自分にとっての人生で最良かつ正しい選択だった。

そう言い切れるようになったことを、10年前の自分への回答としたい。