Press X to Pay RESPECT "DJMAX RESPECT" !

DJMAX RESPECT[JP]公式
http://www.arcsystemworks.jp/djmax_respect/

私的には、あらゆるゲームを押しのけて2017年を代表する傑作となった。
そこには求めていたもの、そのものがあった。

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出会いは2005年5月、シリーズ第1作DJMAX Onlineが日本でサービスを開始したとほぼ同時。twitterより付き合いは長い。
システムやキービジュアルなども含め、露骨にビートマニアの真似であったことは誰の目にも明らかだった。なのでそれなりに触れるだけのつもりだったが、βテストから少しして「OBLIVION」が実装され衝撃を受ける。楽曲・BGアニメーション双方の完成度が非常に高かった。以後追いかけ続けるに至ったのは、この1曲が決めたと言っても過言ではない。

シリーズはその後、舞台をコンシューマ機へと軸を移す。システムがシステムなので日本で発売される気はしなかったし実際当初はされてこなかった。だから輸入してでも遊んだし、そのようなプレイヤーが一定層いたことで、DJMAX portable2では言語設定に日本語が標準搭載されるに至っている。

以後もシリーズは作を重ねていく。だが当然のことであるがコナミに怒られ、その対策としてシステムをいじらざるを得なくなり、相変わらず音楽とBGAの出来は良かったがプレイフィールは少しずつ失われていった気がする。DJMAX TECHNIKAをコナミが国内展開担当になった際は本当に嬉しかった(筐体数は少なかったし3は出なかったけど)が、それは上から下にオブジェクトが降ってくるゲームではなかった。

コナミとの揉め事が何らかの形で決着を見たことで、シリーズは途中から国内で正式に発売されるようになる。だがそれを手がけていたサイバーフロントが潰れた。コナミがその後を継ぐ様子はなく、そうこうしている内にDJMAXシリーズ自体の勢いが落ち始める。スマホDJMAX TECHNIKA Qがシリーズ最新作ではあるが、それも細々としたもの。

手元に残るシリーズ各作品を大事に扱うことで、その想い出を守って行くしかないのか。そう思っていた2016年5月、リブート作としてDJMAX RESPECTが発表される。日本で展開する気も満々とのことで、冗談かと思ったら本気だった。2017年7月、シリーズは本当にリブートして、国内販売は精神的後継作とされていたSUPERBEAT XONiCでの縁からかアークシステムワークスが担当することとなり、11/9に国内でも無事発売された。

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国内版も通常版・限定版を購入してはいるが、例によって日本版を待たずに海外版(今回は香港版)を取り寄せ、プレイは8月上旬に開始している。
OPムービーで泣きそうになった。公式サイドが「DJMAXは一度死んだ」と自ら言い、それを復活させると物語って来るのだ。タイトル画面では「Press ○ To Start」ではなく、「Press X to Pay RESPECT」となっていた。過去に敬意を払う。そして墓場を後にする。そこにはリブートに賭ける熱意が溢れていた。

システムは上から下にオブジェクトが降ってくる最初のものが帰ってきた。DJMAX portable3韓国版から数えても6年半ぶりで、更に「FEVERを発動するとハイスピードが上がる」システムや、ギアやノートに特別な効果を持たせる仕組みは排除された。快適化し音ゲーとして集中出来るようにしてきたのだ。
今まで比較的苦行だった各種解禁要素も、楽曲に関しては敷居が随分と低下した。多岐に渡るアチーブメントの中に解禁要素が散りばめられ、どの順でやってもいい。仮に達成出来なくても、やれる所から手をつけていく内にレベルやプレイ回数が積み重ねられ、そっちから条件を達成することで解禁が進む。解禁が細かくなったことでちょっとやってれば何かがどんどん開く、やめ時を見失いやすい仕様は嬉しい悲鳴。

ボリュームに関しても問題ない。DJMAX portable1&2に加え新曲が40曲追加された。このportable1&2+新曲群という構成は9年前に発売されたDJMAX Trilogyに似た部分があるが、今作の新曲はリミックス群などで数を稼がず、更に初期を意識している点が素晴らしかった。過去作と比較しても全く遜色なく、自然に溶け込んでいる。
BGAPS4にあわせ高解像度化され、音質も改善が見られる。一部ではビジュアルがリファインされた。過去の美化された想い出を蘇らせるためには必要な現代化措置で、そのためには携帯機ではなく据え置き機が必要だった…その判断は正しいと思う。


本当に、求めていたものがここにあった。
懐かしさと新しさ、画面の華やかさ。そしてプレイフィールの気持ちよさ。
DJMAXシリーズの先行きが厳しいからと、よその(ビジュアルを重視する)音ゲーDJMAXの幻影を求める必要さえなくなった。ここにそのものがある。

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そしてびっくりしたのが日本発売後のTwitterでの言及数の多さだ。元々システムがシステムだったので、どうしても日陰者的なイメージが強かったし、近年では話題にする人さえ減っていた。ところがどうだろう。どこにこんなにDJMAX勢が潜んでいたのかと思うくらい、言及数が多い。
墓場から蘇ったのはシリーズそのものだけではなく、プレイヤーもそうであったかも知れない。

音ゲーとしての完成度が高いことで評判は概ね良いようで、そのような話を聞いて新しくこのシリーズに手を出した人も見受けられる。初期曲が充実しているので、リブートする今から始めるというのはタイミング的にも非常に良いだろう。難易度は幅広く用意されているので、別に上を無理に目指さなくて良い。対戦もスコアシステムが変わったことで、コンボ繋ぎやスコア競いというより同じ曲を一緒に歌っているカラオケ的側面が強く、楽しむ場として純粋に楽しい。


今週末には海外版にてDLC第2弾も発表される。どこまでDLCで曲が拡充されるのか、そしてリブート後はどうしていくのか。楽しみは尽きない。
DJMAXシリーズの復活を心から祝福する。もう一度、ここから始めよう。

3連休前後の動向

最近twitterにおいては、発言したいことがあっても幾らか憚られるような "何か" を感じなくもない。誰のせいとかではなく、そういう雰囲気としての話だ。
利用開始10年を機に考え直さなければいけない部分がありつつ、それはさておきこの週末の動向。事前に半ば予想がついていて時期も集中するのも見当ついてたけど、この山は久しぶりに来た気もするので書き残しておこう。

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平沢進 twitter follower9万人達成記念ライブ「第9曼荼羅

https://susumuhirasawa.com/special-contents/event/the-9th-mandala

最終日である10/7に参加。
フォロワー9万=第9曼荼羅=(5回の公演で)ドラムに計9万打叩かせるという、ダジャレからの着想にしてはドラマーに無茶ぶりもいいところの趣向になっており、しかしシンバルはセンサー仕込んでないらしく叩いてもカウント無効。ひどい、ひどいよ。シンバルカウントしてたら労力数割削減出来てたんじゃないのか。
ヒラサワよりもドラマーが主役とも言えるライブということで、リズムを強く刻む系の楽曲が中心になっていたのが特徴。喉の調子もここ数年で最高と言えるのではないかという絶好調ぶりで、最早63歳の出す声じゃない。やばい。今回整理番号がかなり悪かったものの、内容的にはかなり満足の行くものに。
基本的にインタラ以外はオルスタになることが多いけど、ファン層の上の方のことを考えると、インタラ以外も指定席制になってくれると少しだけ嬉しい。
まあそうであってもなくても、開催するなら行くんだけれど。


■「BEATLESS」TVアニメ化発表
http://beatless-anime.jp/


こちらも10/7に正式発表。ただ、これに関しては長谷先生の動向を見ていればある程度わかっていた部分が大きく、まずはそこについて。

  • 早川書房SFマガジン編集部編「SFが読みたい!2017」にて、「2017年は大きなニュースをお届けるできることになると思います。一年そのニュースにからんだ形で仕事が入ってゆく」と先生自身がコメント(p154)。通常の作家業ではおさまらないようなプロジェクトが動いているらしいことがわかる。
  • 先生自身による、コミックマーケットのサークル初参加の告知が夏に行われる(http://blog.livedoor.jp/sat_hase/archives/72143456.html)。この中で「実はこのオープンリソースに関わることで(未発表ではありますが)大きな動きがありまして。今夏と、年末の冬コミケが、オープンリソースという企画を認知していただくには、ベストのタイミング」と仰っている。つまり秋から冬、もしくは来年にかけて何かある。しかも夏に頒布されたこの同人誌、ここまでのアナログハック絡みのメンバーが大体揃っているというオマケ条件つきであった。
  • 先生の代表作と言えば「あなたのための物語」「円環少女」などがあり、今は新シリーズ「ストライクフォール」を刊行中だが、アナログハックオープンリソース絡みであればBEATLESSに何かあることが濃厚。あと円環少女は原作読んでればわかるけど、あれは映像化の話があったとしても色んな意味でやりにくい。
  • 10月刊行予定だった「ストライクフォール3」が、「無理をして何か起こるとクオリティに跳ね返る進行よりは、万全に進めたほうが」という理由で延期(https://twitter.com/hose_s/status/908717566373224458)。どうやらここが何か過密なことになっている?
  • 10月と言えばマチアソビ。マチアソビは元々Newtype誌絡みの企画が多く、BEATLESSの月刊連載もNewtypeだった。そしてマチアソビ18クライマックスの初日10/7には「角川新作アニメ」とだけ告知されているコーナーがある。

ここから次の予想として、最近の原作つきアニメ化は "タイトル-anime" のようなドメインをつける傾向があること、そしてBEATLESSトップレベルドメインに ".jp" を使用していることから、実は8月くらいから不定期に予想URLを叩いてみたりはしていた。
これがビンゴしたことに気がついたのは10/2。whoisを見ると9月末にアクティブになっていたようで、以後キリの良い時間毎にアクセスして様子見。10/5の18時過ぎまでは「beatless-anime」とだけテキストが書かれており、そこから10/7の16時までは「Coming soon.」にテキストが切り替わっていたのも確認済。
加えて単行本に関わっていたメンバーが徳島に行く感じだったので、これはほぼ間違いなく10日の雑誌発売日を待たずに公開されると確信し、実際その通りに発表されたという流れ。推測する判断材料としては十分過ぎるほどだった感じかな。

映像に関しては出てくるものを観ないと判断しようがないのでそこに関しては現時点では何とも言えない。ただアニメ化されようとされなかろうと長谷先生のファンであることにはこれまでもこれからも変わらないし、一番好きな作家さんであることも変わらない。
この新しい展開で、アナログハックオープンリソースや「AIとヒトとの関連性」についてより認知が広がればいいなと思う。原作はマジで今こそ読むべきだし、何で読んでないのくらい言ってもいいくらいのテーマだし、特にアナログハックオープンリソースは創作意欲が強い人ならあれはかなりおいしいと思うだけに、拡散力のある人に拾われて欲しい願いが強い。「アナログハックという言葉が使用フリーなら使っていいですか」と官庁からもお声がかかったそうで、色々うまく行ってくれれば面白いことになるな、との期待も込めて。


マクロスΔ劇場版 2018年2月9日公開決定
http://macross.jp/news/?id=686

ワルキューレ3rd LIVE「ワルキューレは裏切らない」at 横浜アリーナが2018年2月24日(土)、25日(日)開催決定!
http://macross.jp/news/?id=687

これも大体予想ついてた内のひとつ。劇場版制作決定はしばらく前に発表されており、劇場公開日程はおおよそ3ヶ月前にするだろうということで、このタイミングでイベントやりますよ川崎来てねというなら、劇場公開日が発表されるのは間違いない。春にぶつけない1月後半とか2月頭だろう。そして、劇場公開だけなら「声の5人」でもいいのに「歌の5人」を揃えてミニライブをすると言っている。これはそっち方面でも何かある…という予想通りの発表に。2月9日なら朝イチで見に行ける日取り、かな。
ライブについては、正直なところ2ndライブが最後という覚悟で当初からいたし、そこで終わっても悔いが無い程度には燃え尽きて来た。2ndライブ終演時に次回ライブ告知がなかったので、劇場版も含めてその後仕切り直してプロジェクトが動いたのではないか…という気がしている。

ことあるたびに書き、そして会って話題になるたび話してもいるけれど、ワルキューレは歌唱力極振りみたいなユニットで、その総合力はシリーズでもトップクラスであることは確かだ。同じ旋律を複数人が歌う「ユニゾン」ではなく、バラバラの旋律をそれぞれが担当する「ハモリ」に徹しており、そのハモリのパート分けが歌詞カードを見ると相当複雑なことになっている。で、それを全部ライブでやる。歌がキーになるマクロスシリーズ全体においても、そのグレードを一段上に押し上げたと言い切って良い。
更にセンターボーカルであるJUNNAちゃんの声が "CD収録などでは拾いにくい" タイプの声をしているため、「いいから実際に声を聴け」妥協しても「2ndライブの円盤は観ろ」というしかないやつなのである。「8000人のオーディションを勝ち抜けたら年下のラスボス(JUNNAちゃんのこと)が待っていた」みのりちゃんにしても、ラスボスに負けるかとばかりに持ち前の度胸で立ち向かっている子だし、それだけのことをやって来た。

正直なところ、拡散力のないウチがいくら褒め称えたところで周りには全然響きやしないのであろうが、彼女らの歌唱力が本物であることには違わないので、楽曲そのものを評価しているんならぜひ足を運んで頂きたく思う。


新生FF14 パッチ4.1
https://jp.finalfantasyxiv.com/patch/4_1

10/10実装。
ウチはFF11にて「真の廃人とはいかなる存在か、彼らがどのような心持ちで取り組むのか」というのを間近で見るまたは行動を共にする機会がよくあった。そして自分のゲーマーとしての腕前や割ける時間などを考えると、到底その域には辿り着けないこともわかっている。だから後から入った新生14においては、アイテム欲しさに目が眩み負荷が重くなりすぎることにはならないよう自分の中で出来る "ほどほど" を維持したいと当初より考えており、今後もほどほどにやれたら良いと思う。そのために何より大事にしたいのは「知っている人」だ。距離感のわかる人たちなら負荷は下がるから。
アライアンスレイドはカジュアルにやれるし、どしどしルーレットしていきたい。


FF11 2017年10月バージョンアップ
http://forum.square-enix.com/ffxi/threads/53226?_ga=2.210504021.114573724.1507540521-1746211250.1483860651

一緒に戦ってくれるNPC・フェイスとしてアークエンジェルが実装され始めたのは去年9月のこと。途中間があきつつ、この10/11のバージョンアップで、かつての強敵アークエンジェル5人が遂に全員味方となる。

FF11初代拡張ディスク「ジラートの幻影」発売後、最初の大型バージョンアップで実装されたこの対アークエンジェル戦。実装当初は挑む人がそこまで多くなかったのはよく覚えている。
その理由はいくつかあって、4月(Lv60→65)・7月(65→70)と続けてレベルキャップが5ずつ開放されたので皆がレベリングに忙しかったこと、またアークエンジェルに挑むための前提ミッションである対カムラナート戦がLv65キャップ時代では結構厳しめの難易度(ナイトがタルタルだと無理だとさえ言われた)だったので、挑戦権を得ていた人が更に少なかったことなんかがある。
やりたくても攻略が進まなかった。そんな状況だったので、もう固定で攻略しようと最先端のエリアでうろちょろしている人へ声をかけあう方が、あの瞬間においては効率が良かった。あのゲームで人の縁が広がり始めた根幹に位置していたのが対アークエンジェル戦だったので、「そうか…あの時の敵が今や味方か…」と非常に感慨深い。実に14年越しである。

フェイスは魔法扱いで、魔法の実装枠がもう結構厳しいと聞く。青魔法に至ってはもう増やせないそうだ。フェイスも相当多種多様に実装して来たが、そろそろ限界が近いっぽい。
FF11の遊び方の変革の中で最も大きかったのはフェイスである。多種多様なキャラクタの実装に感謝するとともに、今後あんまり増えないかと思うと少しだけ寂しいかも知れない。


あと直近で興味のある出来事というと、10/12の海上自衛隊平成26年護衛艦命名式(http://www.mod.go.jp/msdf/formal/info/news/201710/20171003-01.pdf)辺りとかが直近では控えている。

 
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持ちうる心のキャパシティを何で埋めるのかにあたっては、ウチはその中身の入れ替えサイクルが非常に遅いことをわかっている。何年も居つくことになるものが多く、むしろ最初から何年も付き合うことを前提で組み込んでいる。それが出来そうになければ最初から組み込みなどしない。
最近そのサイクルが更に延びて来ていて、それこそ艦これから派生した艦船への興味とかは多分ずっと続くやつだろうし、今年もまた呉へ行くし、来年は小笠原行けそうなら行って、30年前行った時には微塵も興味がなかった戦争の傷跡なんかをちゃんと見たいと思っている。

「これ以上何かを組み入れるのは大変だな…」とは思うも、今追っているものが少しでも長く続き、成功するようであって欲しいとは大体どれに対しても思うことである。
そしてその "好き" を自分で自分を守り続けられるようでありたいし、そのためのblogという場所でありたい。
必ずしもマジョリティでない自分にとっては、好きを語るにはtwitterはちょっと難しい場所になって来たかも知れない。

前進をもたらす一筋の光


普段カクヨムなど自主投稿小説の類はあまり読まないが、籘真先生がカクヨムに作品を投稿しており、NOVEL 0の「大人が読みたいエンタメ小説コンテスト」にも応募ということで読みに行くなどしている。


好きな作家さんを挙げなさいと言われれば、即座に何人かは答えることが出来る。その中の1人に籘真先生がいる。
作家さん毎に好きな理由は違うけれど、籘真先生の場合は世界観や物語進行の根幹を成す部分で局所的に響く何かが毎回必ずある。物語の舞台が変わっても、登場人物が違えども、それを読んでいるウチ自身の(考え事などの)環境が変われどもだ。物語の魅力はそれが媒体を通じて受け手の人生に影響を与える点にあるが、これのヒット率が籘真先生の場合半端ではなく、本当に不思議なくらいよく当たる。それも最も適切なタイミングで。

何か考え込んだり解決の糸口が見つからない時、ウチの場合は考えつつも谷間に落ちないよう防衛手段を取る。しかし防戦一方過ぎて原因を自分で絞り込めていないことが多い。あまり深刻ではないもののそれなりに考えることが今もまたある中で、そこまで深刻ではないから「こっちかな…」くらいまでは持って行けつつ決定打にかけていたところへ、一気に光明を見出せるようなことが「やっぱり今回もあった」のだ。
こういうことがあるから物語に触れることが面白いのであり、特定の作家さんを追いかけ続けるのだと思う。

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特にオチもないが、この物語に触れたことで自分の中で前進があったという備忘録として、ここに刻む。
忘れそうになったら読み返すために。

前後と、それから

6/9に、この話をしてから10日。
「何を言われようが仕方がない」。事前に予想出来うることは対策をした上でのエントリ公開であったにも関わらず「おかえりなさい」やそれに近い言葉をかけて頂けたり、特にそこでコメントはなくとも "新生14にやってきた同じプレイヤー" として普通に接して頂けたりと、こちらの想定は良い方向に外れたように感じた、短いようで長い10日間となった。
いや…表に出していないだけで、本当は言いたいこと山ほどある人も中にはいると思う。けど言いたかったことを踏まえた上でもそう接して頂けた言葉の向こうを考えた時、なんとありがたいことかとモニタの前でひっそり泣きそうになることが本当に何度もあった。
今回の一連の流れに置ける原因のひとつには非常に大きな人間不信があったのに、それが人の接し方によって救われるとは全く思っていなかったからだ。

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そうして新生FF14二度目の拡張「紅蓮の解放者」が始まる。
実装直後にトラブルでメインクエストが進まない事態となり、マウントでかけずり回ってFATEをひたすら繰り返して改善されるのを待った。このFATE連戦は(メインクエスト進行に対してLvが足りなくなった)Lv50直前で数時間似たような体験をしたきりであり、数段大規模にプレイヤーが移動連戦する様は初めての光景。これはこれで楽しかったと思う。
トラブル解消後に進めたメインクエストも、最初から最後まで野良で進行したものの「みんな最初はわからないから! オッケー!」であったりとか、既に周回突入していながら「ここはこうなんですよ」と丁寧に教えて頂けたりとか、何故かみんな踊ってから戦闘突入するとか、虫の出てこないバトルなのに(中の人の)昆虫耐性を何故か聞かれるとか、総じて楽しく終えられ良い巡り合わせだったと感じる。
きっとその内周回前提になると、こうじゃなくなってしまうかも知れないけれど。

そのような巡り合わせの良さもあり、メインクエストは無事にアーリーアクセス期間中にスタッフロールまで見終えることが出来た。比較的LSや周囲と比べると早い方ではあるようで、これには理由があり先に片付けておかないと知り合いの手伝いを「場数を踏む」訓練の場に出来ないからだ。自分にとって今最も足りないのは、場数の大きな欠如による判断の鈍さとわかっている。周りの人達には(ウチが個人的な事情で手をつけられなかった3年分の)場数と蓄積がある。
野良のノリが良い内に、皆で対策を相談しながらクリアする。そのあと知り合いの手伝いをすることで自分の中に定着させる。後から追いついていって「予習は必要なんだという前提がある」+「予習したけどよくわからない、でも過ぎてしまった」はつらくなる。6/9以前ではこれが一番つらかった。メインクエスト3.xの後半は胃のダメージも無視出来ないレベルで大きくなってしまい。


ここから先はより難しかったり、ひたすら周回することになるダンジョンであったりとかが待ち構えている。これらはLSや知人の進捗を待ち一緒にやりたいと思う。これはFF11におけるアビセア時代のプレイスタイルに非常に近く、あの頃はバトルのトリガーアイテムを平日にソロや少人数で集め、難易度の高くないものは野良でこなし、週末に仲間でトリガーアイテムを持ち寄ってわいわいやっていた。あれが非常に楽しかったのだ。
ゲームが違うので同じようには行かないが、メンタルの保全的な意味でも似たような落とし所には持っていきたい。ウチはMMOの中での新たな出会いを今はそんなに求めていないし、「ここはこうした方がいいんだよ」と言える環境にあるような身内に引っ込むプレイで良い。何より「モニタと自分の間に何か薄く挟まっているような、思考の阻害をするもの」は、今もずっと引きずっているから、難易度の高いものを状況の厳しい野良でやっていたらメンタルが耐えられない。
今の「自分でも出来ること」とそうでないことの境界線はこの辺りだと思っている。


このゲームは明らかに難しいゲームだ。そして経緯というものがあった。けれどここに来ると決めた以上、少しでも長く続くようには心がけたい。
まだまだ道は半ばだ。

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還る理由

SAO O.Sを封切初日に鑑賞。
良くも悪くも思っていた通りの出来だった。驚いたのはスタッフロール後の最後のカットくらいだと思う。
それはさておいて。

作中、ARゲームの台頭によりALOやGGOをはじめとする完全没入型VRゲームのプレイヤー人口が減少していく描写が何度も見られた。そんな描写の中で「またみなさんが還って来ることを」云々と、発言しているシーンがある。
残念ながら、きっとそのようなことにはならないだろう…と思いながら観ていた。


非常に勘違いしやすいが、同じ界隈にいることが同じ意味での好きな集まりではない。その中には「コンテンツの世界観が好き」もあれば「流行ってるものが好き」「人と触れ合えるから好き」「ぶっちゃけただの腰掛け」まで含まれる。単にゲーム好きと言っても格ゲー好きから音ゲー好き、シューターまで様々いるように。
この中で「一時的に離れてもまた戻る」のは、そこに戻らなければならない唯一無二の理由がある場合のみだ。人が目的ならその理由にはなりえない。そこに戻らなければ得られないものとは、そこにしかない特徴…コンテンツ自体の特徴や世界観。そのレベルで好きな人というのは、決して多くはない。現実を見てもソシャゲやアニメの流行り廃りなどは極端で、まるで民族移動のような大規模な変化がしばしば発生する。
世界観レベルでの好きとこの民族移動の様子を、同じ「好き」で括るのは余りにも乱暴というものだ。

人が減ってしまった側に残る者の願い自体はとてもわかる。しかしそれほど人は良心のみで動いたりはしないし、そしてコンテンツに根ざす理由を持たぬ者には、その願いすらも届かない。仕方がないが、流れとはそういうものなのである。
どこまで意図してああいう描写を入れたのかは不明だが、個人的には印象に残ったシーンだった。


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5年後、10年後、自分は何を語っているだろうか。
その時に5年前、10年前のことを「忘れた」で済まさないようではありたいと思う。