止まるもの、歩むもの。

週末に連絡が入った。
それを受けて10年前の文章を読み返している。
ひとりの友人が亡くなった。
 
知り合ったのは20年程前。インターネットがこれほど普及するより前で、ゲーム仲間はゲーセンのコミュニケーションノートでの交流で見つけていたような頃。その繋がりのド真ん中にいた方で、彼なくして以後20年続く繋がりはなかっただろうとも思える、そんな存在。
とてつもなくポジティブな方だった。その身にふりかかった運命が過酷であったことには違いないのに。
 
 
若者という年齢ではないので、少しずつ、自分に影響を与えた方が他界することが増えて来ている。
死別とは揺るがない現実だ。何をどう感じようが時代は否応なく進み、生きる者もそれに適応しながら前に進む。葬儀やその後の法事などは他界した者のためというより、他界した者を想う自分たちのための執り行いだろう。
だから特別悲しみに暮れることは親族であっても友人であっても自分の場合、そこまで無い。
寂しくはあるが、時の歯車が止まった以上、思い出となっていくのは仕方がないことなのだ。

もちろん思い出となるのは無駄なことではない。何か判断に差し迫られた時、記憶から呼び起こされるのであればその人と出会ったことには十分意味があり、自分の中で糧になっている。今回は糧というレベルではなく、今に繋がる礎そのものに近く、影響は多大なものがあった。
自分が現世に別れを告げる時、誰かの記憶の中に残るだろうか。そんなことを考えた日曜の夜だった。

貴方のおかげで今があります。
おつかれさま。おやすみなさい。ありがとう。

ミクロとマクロの間を繋ぐ

あと1ヶ月と少しもするとイルミネーションの季節がやってくる。
都市の景観にはミクロ的なものとマクロ的なものがある。イルミネーションは前者で、後者は高い所から眺めた時など。自分が都市景観として好きなのは前者で、理由は各々の構造物だ。構造物とはその「隙間に潜むロマン」なので、近くて良く見える方が良い。


そんなミクロな景観に彩りを添えるイルミネーションとは、つまるところ構造物に構造物をかぶせること。あの季節限定で都市にレイヤーがひとつ増える。その光は計算して配置され、計算された輝きを放ち、「隙間に潜むロマン」が増える。撮って回っている時は複数人組を非常に多く見かけるが、独り身で見るイルミネーションというのも十分過ぎるほどに楽しい。


しかしミクロな景観ばかり追いかけていると全体が繋がらない。
ここ最近自分の中で課題になっているのはマクロの方だ。日頃の移動手段に地下鉄が多いのもあって、生まれも活動圏も東京にありながらこのメガロポリスを知っているようで驚くほど知らない。都市はひとつひとつの土地と人の連なりで出来ているのに、地下鉄はそれを無視した動きで突然目的地に現出してしまう。便利ではあるのだが。
そのせいで目に飛び込んで来さえしないものが大量にあるのが今更ながら悔しい。繋げていかなきゃと思う。地図を見ていてもあんまり実感としては湧かないので高いところなり行って実際に確認しなければいけない。歩かないと覚えない。


それに、見ていても(当たり前だと思いすぎていて)見落とすことだってある。そういう損失のためには東京を離れて見直す機会も、もっと増やす必要はあるんだろうなと思う。今年は年2回旅行するつもりがうっかり機会損失して例年通り1回になってしまった。悔しいという感情自体が抜けていた時期がちょっと長かっものの、最近はそれが戻って来た感じがしているので、うまいこと活用したい。
何とかしたいな、というのが見えてくると時間って全然足りないなと改めて思ったりした。

桜と共に思い出す、いつか想い出になった物語

いつか想い出になる物語。
自分がμ'sに入れ込むようになった2013年年初、早々に直感したのがこの言葉だった。この言葉はそのまま以後の決意ともなる。そうなろうとするために。

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流行りに乗り切れると限らない自分が、大きくなっていく流れの只中にいるのは珍しいことだった。そんな機会、次にいつあるかわからない。そしてコンテンツというのは必ず終わりがやってくる。喪失感で色々なものを台無しにする過去の失敗を繰り返さぬよう、想い出を作りつつも消費消耗し過ぎず、振り返ることが出来るだけの余地を残すようにしてきた…そういう3年強だったのだと思う。
想い出を作る方面で最もハイペースだったのは2014年。ワンマン以外のライブにμ'sが多数参加した年でもあり、行けるだけ行くことに努めた。友人にも色々助けて頂いた。

その勢いを受けて迎えた2015年のμ'sワンマンライブ。ここでストレートにライブ次回予告が出なかったことで違和感を覚える。またコピーライトの西暦が更新されないことからも「ああ、これは畳みにかかるな」というのを感じ取ることが出来た。劇場版で2015年のコピーライトが追加されたが、元の「プロジェクトラブライブ!」は2013~2015といった様にはしていないからだ。
更に2015年夏のファンミーティングツアーである。あれは感謝を兼ねる修学旅行のようなものだ。ファンミーティングツアー2017とかはないな、と思った。なお幕張と長野に参加し、とても楽しかったことは書き添えておく。

そんな違和感から、自分の中の流れも"以後"へ向けるよう心の準備を進めることにした。
それを言及回数の減少から鋭く察知した友人がいた。本当によく見ていると思う。興味を失っているから減っていたんじゃない。ここで大騒ぎしているといきなり襲い来る喪失感で動けなくなってしまう…いつか想い出にするためには長い準備期間が自分には必要だった。もう、あまりにも、それだけのものを受け取っていたから。


結果的には「いつか想い出になった物語」への移行はかなりスムーズに出来たと思っている。コミック連載あるしスクフェスもアーケードへ展開するなどμ'sを見かける頻度は減りつつも残っているが、減っていることへの喪失感や寂しさは然程ない。夏コミへの寄稿および同人誌編集に3月から8月まで関わっていたことも大きい。十分過ぎるほどのマージンは取っておいて良かったと思う。
3年と少し前の直感と決意は無事に果たされた。

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ファイナルライブ当日は桜が満開だった。
外濠から水道橋方面を見た時、川の両側を埋める桜並木は9つの魂を導くための道のようにも見えた。きっと1年に1度桜の季節がやって来ると、東京ドームに導かれる9人を思い出すのだろうと思う。
景色に感情は紐付けられ、感情はそこに置いていかれ再び出会って思い出す。未だに「恋愛の時空」を春になるたび聴いているように、最低でも年1度思い出すきっかけが出来たなら、μ'sとの付き合いはとても長いものになっていくのだろう。10年後も、20年後も。きっと。

想い出と共に生きる日々。あのかけがえのない日々。
感謝しかない。ありがとう。

 

サブblog開設のお知らせ

もう少し私的なことを綴るため、従来よりゆるりと更新しているblog『第五五六〇観測所』のサブ的なものを立ち上げることとしました。更新は不定期です。
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あしからず。