10年前の君へ

10年が経った2018年11月1日。無事に今日という日を生きている。
楽しい10年になったと思う。それまでとは比べようがないほどに。
あの日は男性にとっては最重要であろう、睾丸を摘出するという選択を実行に移した日だった。あの時あの選択を取れていなければ、冗談ではなく今無事にこうしてはいられなかっただろう。

直近での進展は何もないが、この10年で変わったことと変わっていないことがある。変わった部分は10年前の自分は知らない。そんな10年前の自分が "もし未来の自分を垣間見ることがあったら" という設定のもと、総括として記したいと思う。
あの時知りたかった、その答えとなるように。

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自分にとっては不思議なこと、しかし誰にとってもそうとは限らないこと。
「男に生まれ、男として老いたい等と誰が望んだ?」

「何故だろう?」という思いは小さい頃から抱えていた。男らしいと言われることに強く拒否反応があり、髪を短く切ったら「さっぱりして男らしいね」と、じゃあ短くなきゃいかんとでもいうのか。身体を鍛えれば男らしいというのであればそんなものはお断りだ。
普通は、年齢を重ねるにつれ現実と向き合い、受け入れ、折り合いをつけていくものだと思う。実際そうしようとしていた時期もある。しかし出来なかった…というより、20歳を少し過ぎた頃から悪化した。壮年に向けた変化はこの時期から出始める。無理なものは無理だった。

とりあえず、逃げた。
学生身分でなくなってから実際に手術で摘出をするまでの10年弱生き長らえたのは、単に逃避していただけに過ぎない。特に20代後半は仕事の環境があまり良くなく、自分の知識不足や能力不足が重なり「よくあれで辞めなかったな」というくらいに、出口が見えない日々が続いた。ただそのお陰で自分自身のことは考える暇が少なくて済んでいた。
しかしそんな逃避もずっとは続かない。30歳になり、逃げ続けていたことがいよいよ猛然と鎌首をもたげる。かなり深刻なレベルで身に危険を覚え始めた。

情報は五感を通じて入ってくる。
その五感は身体に備わる器官であり、その身体自体に「何故?」を抱えると何が起こるか。全てにドス黒いフィルターがかかる。
良い方向に何も転ばない。空を見上げても清々しい気分になることはない。季節の移り変わりを感じることは歳を重ねることであり、受け入れ難き方向への老化が進むことになる。寝て誤魔化したところで、起きても状況は変わらない。そんなに嫌なら死ねばよかったものを、試みたことがあり完遂出来る勇気がないことがわかってしまっていた。
今からすれば遥かに遠く、でも確かにそこにあった暗い日々。

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そんな頃にtwitterに触れた。
当時のtwitterはメジャーな存在ではなく、はてな村の延長線上的な雰囲気にあった。黎明期だったこともあり様々なものの距離が近く、色々な考えの人に触れやすい世界。
色々な考えの人がいる。それぞれ生きている。だったら、自分の中でおかしいと思っていることは、世間体を理由に自分の中で押し殺し続けなくて良いのではないか? 実行に移して良いのではないか? ようやくここで "変える" ことに対する自信を持てるようになる。
ログによればtwitterに新規登録したのが2008年の1月で、日常的に使うようになったのがGW頃。摘出を考え始めたのが8月後半で、9/26には手術までの段取りが確定している。3~4ヶ月程で人生に関わる事態が急転直下を起こしており、それほどまでに当時のtwitter社会というのは衝撃的な存在だった。

自分の場合、向こう側の性別へ渡ることを目的としていなかった。持って生まれたものを否定する属性でありたいだけで、落としどころとしてはニュートラルに近い。そのため男の根源を断ってしまうことが最小限の手段で最大の効果だった。断ってしまえば男性ホルモンの分泌は95%が止まる。


webでカミングアウトした際には様々な反応を頂いた。「自分の選ぶ道だから責任持てるなら良いのでは」から、ただの興味本位、「そんなのやめろ」まで。反応は頂いたが方針の参考にすることはなかった。何よりもう時間がなく、30歳を過ぎると壮年化が加速し始め、以降は摘出しても効果が薄くなる。
また、不確定の未来を待てるだけの余裕も既になかった。もし将来的に結婚することがあった時、その取り返しのつかない手段は本当に取り返しのつかないこととなってしまう。後から子を持ちたくても持てない。しかしそのあるかも知れない未来はやってこないかも知れない未来でもある。かも知れないで時限爆弾を抱える生活は憔悴していくだけで、なりたくなかった姿はより悲惨なことに…そういうビジョンしかなかったし、そんなものは見たくなかった。そもそも見たくないから年齢を重ねる毎に事態が悪化してきたのだ。これ以上悪化したら再び鏡さえも見られなくなる。

可能性の低い未来と決別し、可能性が高い方の確率を高める必要がある。
ここで結婚もせず子も持たずと決めてさえしまえば、「子孫を残す」ためのこの部位は全く必要がなくなる。死ぬ勇気がない以上、今の自分を守る。それを摘出という「金を出せば解決」する手段で実現出来るのであれば、40万なんて本当に安い金額だった。

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手術後の心境の変化を辿る。
これには大きく2段階あった。ひとつは、悩みが丸ごとなくなったこと。望んでいたことそのものだ。
必要としなかったので、摘出しただけでホルモンを足すことはしなかった。それでもバランスは劇的に変化したことから、身体的な変化も多岐に渡る。ざっと挙げていくと髪は細くなり男性特有のマットな質ではなくなり、生え際の後退は完全に止まり、体臭もほぼ消滅した。皮膚は薄くなるので肌のキメは細かさを取り戻し白くなった。後ろ姿のシルエットだけではどちらだか判別がつきづらいらしい。血液検査は術後、明らかに男性としては普通ではない数値を出すようになり、一部は異常値が出っぱなしとなった。

「男としての一般的な老け方」にブレーキがかかり焦る必要はなくなったことで、常にかかっている「ドス黒いフィルター」も消え、抱え続けた悩みに割かなければいけない膨大なリソースは丸ごと浮いた。この丸ごと浮いて「ぽっかり空いた分どうすれば埋まるの?」というのが心境の変化に相当する。
すぐに解決はしなかったものの「楽しいと感じるもの」はその後自然と増えていき、この穴を埋めていった。五感から入ってくる情報が不必要にマイナス側へ引っ張られることがなくなるだけでこうなのかというのはショックではあった。そんなことで悩まない普通の人というのは、10代20代からもっと楽しかったんだろうか。
そこは悔しいとか考えないことにした。


もうひとつは、手術後少しして秋葉原へ行った時に起きた。
同人・商業流通関わらず、いわゆる年齢制限がかかるようなその手の絵について、目に入ってくる情報自体は手術前後で変わってないのに全く何とも思わなくなっていた。その方面に対して感受性が欠如したというか、そのような絵が絵であること以上には意味を持っていない。
これにはかなり驚いた。何しろ秋葉原行って店入って品揃えを見たという行為が同じで、感じ方という出力結果だけが突然変わっている。

この出来事を通じて、感じ方が身体に極めて左右されるのであれば人間の心は身体と独立した確固たるものではなく「身体の支配下にある、存在するように錯覚しているだけの幻」だと考えた。自分の中で当たり前と思っている感覚は器官の受容の総合体に過ぎず、もしかして後天的に何かが強く影響すれば、自分が気付かないまま変化している可能性も。
もっと極論すると「摘出して悩まなくなり楽しいことが増えた」も、実在しない幻なんだろうなとも。哲学や悟りめいた考えに至るようなことは、想定していなかった変化だった。求めていたのは身体面の変化だが、考え方の変化の方が大きかったかも知れない。

虚構を前提に、人間の起こす活動に関しては一歩引いて見るようになったが、そこに虚しさはあまりない。なぜなら、手術より前の方がずっとしんどかったから。だから「生きている」のであれば、例え感情や心が仮初めのものであっても楽しいものは楽しくありたい。そう思うようにした。

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あれから10年。
本来こんな爆弾など最初から抱えないに越したことはなく、相当遅れた人生の再スタートだなとは時々思う。それでも、遅かったとしても何もしないよりかはずっと良い。
踏み切らなかった未来、自分が辿っていない世界線での2018年のことは想像したくないし、そんな自分と出会うことはもう無い。

10年前とは周囲の環境は大きく変化した。結婚や子育てをする人が増えた。それは(大変かも知れなくても)極々普通の生き方。
自分のしていることは明らかに一般的ではない。後世に継ぐことが出来ないため、人としての役割までも捨てていると指摘されても否定は出来ない。それでも、これは自分にとっての人生で最良かつ正しい選択だった。

そう言い切れるようになったことを、10年前の自分への回答としたい。

それは煌めきの8年間

東京アニメセンター in DNPプラザ | 企画展 第7弾『劇場版 プリパラ&キラッとプリ☆チャン ~きらきらメモリアルライブ~』プリティーミュージアム
https://animecenter.jp/plan/07_p-museum.html

女の子のキラキラ輝きたい気持ちを応援して来たプリティーシリーズ。
全てはここから始まったプリティーリズム・ミニスカートから、シリーズの礎を築いたアニメ「プリティーリズム」シリーズ、先代を継ぎ飛躍と層の拡大を決定づけた「プリパラ」シリーズ、そして新たな煌めきの継承者「キラッとプリ☆チャン」へ。
そんな8年分を一同に集める、ここ煌めきと想いの箱。

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シリーズ通しての存在となるめが姉ぇに導かれ進んだ先の通路には、ずらりと並ぶシリーズ各作品の概要とキービジュアル、上部には数々の場面写をスライド表示、下部には名台詞など。振り向けば壁一面にはキャラクターがびっしりと並ぶ。等身大までは行かずとも、その迫る "圧" は強いインパクトを来場者に与えた。

名台詞はあいらでなく、みあから始まる。
みあは同一存在でこそないもの、プリティーリズム・プリパラ両シリーズで登場し喋りショーやライブを行った、次元を超えてシリーズを繋ぐキャラクターとなった。ディアマイフューチャーを見ていなくてもアイドルタイムを観れば、みあは「全く知らないキャラクター」ではない。劇場版「キラキラメモリアルライブ」のディアマイフューチャールートでは、彼女にしか出来ないであろう繋ぎ方を繰り出しもしている。
シリーズを一堂に介したこのテーマの中で、先頭を切ってここまでを引き連れるには適役と言えるだろう。

なお壁には全キャラクターが完全網羅されているわけではない。「そのビジュアルを採用すると抜けるキャラがいる」のだが、名台詞欄でせれのんwithかなめのプリズムアクト「プリズムレインボーハリケーンマキシマム」での台詞が配置されるなど、向かい合い同士で一部補完しあっている箇所もある。

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「プリパラは好きぷり?」はプリパラ1期1話、4年越しのアイドルタイムプリパラ最終話で再び使われた。プリパラシリーズを締めくくる台詞としてはこれ以外にないだろうというチョイス。

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通路を過ぎるとあいら・みあ・なるが出迎える。このゾーニングが絶妙なバランスで、そのまま右折してプリリズコーナーに行けば3部作のプリズムスタァとして機能するし、左折してプリパラコーナーに行く時には「セインツの3人」として機能する、ちょうどその間に立っている。

プリリズコーナーではとにかく「実物」で攻め立ててくる。
今や入手出来ないであろう当時発売された数々のグッズなどがショーケースに収められ、3部作のそれぞれ1話台本や(ここには掲載していないが)アーケードゲームとしてのプリティーリズム企画書、プリティーリズム・オーロラドリームの番宣ポスターなど一般に流通し得ない貴重なものから、果ては元Prizmmy☆のかりんちゃんによる書道などわかる人だけしかわからないようなネタまで飛び出す。更にスクリーンで歴代OP・EDが延々と再生。
プリリズのコーナーは決して広くはないが、広くない=少ないではない。限られた空間で「様々な歩みがあったこと」を可能な限り凝縮した展示。

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プリリズにも増して物量で圧倒して来るのがプリパラ。プリパラアイドル名鑑の各ボードは1枚1枚に設定や服装・表情バリエーションがぎっしり詰め込まれ、これを丁寧に見ていくとかなりの時間を要する。2時間以上滞在していた来場者は決して珍しくない。非常に綺麗にまとまっているからか、「本で出して!」といった感想も多く耳にした。

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期間中2度入れ替えがあった衣装展示。こちらも実際にライブやイベントで使われた実物で、過酷なアクションに耐えうるだけのかなりしっかりした出来となっている。そんなものを着てあれだけ激しく踊ったり歌ったりするのだから本当に恐れ入る。コスプレを趣味としているからか、かなり熱心に撮影している姿も多く見受けられた。
プリパラとしては秋のライブがプリ☆チャン・プリパラ合同で開催予定で、その時ここで展示されたものを会場でもう一度目に出来るだろう。

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劇場版も場面写コーナーを展開。この企画展は全てを横断的にフォローするのだ。この中で飛び出すプリパラはディスク化されておらず、場面写さえも多く見かけることはない。
劇場1作目「プリズムツアーズ」の成功は、後にスピンオフ「キングオブプリズム」を生み、そこでプリティーリズムが一定の再評価を受けたことで今プリリズキャラを再展開させている下地にもなっている。

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ここまで散々物量で攻めておいて待ち構えているのが背景設定、アニメーション原画、キャラ初期案や設定指示書。原画は実物のようだ。キャラクター設定は名前どころか見かけさえも今と全く違うケースも多く、多くの過程を経て現在のキャラクターになったのだなと思うとこれもまたなかなか貴重な資料だ。プリズムストーンでの展示と違って今回は撮影フリーと大盤振る舞い。

初期案の横では、撮影禁止になっているがタツノコプロCG班によるモーション取りからCGライブが出来るまでを上映。こちらはアニメセンターが市ヶ谷にやって来た際の最初の企画展で上映されていたものと同じだが、初めて見た来場者も多かったようだ。

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そして現行となる「プリ☆チャン」と、過去作品をまとめて取り扱うプリティーオールフレンズのコーナーとなる。この2枚が向かいあわせで掲示されており、過去も今もまるっと一緒に10周年へ突き進む…それが今のプリティーシリーズだということを強く印象付ける。

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フォトスポット&メッセージコーナー。メッセージボードは当初壁1面だけが割り当てられていたものの、一切撤去されずに来場者が次々書き残していったことで壁3面を使える限り使うまでに至った。好きなキャラや感謝のメッセージ、ネタに走ったりなど、ここは製作者ではなく来場者の想いが沢山詰まる場所となった。

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映像の動画撮影と一部資料の撮影禁止以外を全て「写真撮影可・SNSアップ可」としたことで、来場者は消耗するバッテリーと戦いながら数多く写真を撮り、それが拡散され、初日はtwitterの日本トレンドにランクインするほど話題となった。当初行くかどうかを迷っていながら、タイムラインに流れる写真を見て行くのを決めた、というケースもかなり多かったようだ。

アニメセンターのスペースは秋葉原時代よりは広いがそれでも広大ではない。そんな中で2~3時間滞在はザラで撮影枚数も数百枚が続出するほどの物量で攻め、それが結果として「キラキラが詰まった」を見事体現した。

想い入れの分だけ、それを反射し輝かせてくれるような、そういう構造。
来場の感想もポジティブなものが多かったが、それはプリティーシリーズをそれだけ愛してくれたファンが多かったことの証拠でもあるし、そのようなものを製作陣が長きに渡り作り続け、こうして今回展示会に協力を惜しみなくしてくれただろうからだ。


非常に貴重な機会、ありがとうございました。

解き放たれる外見と抑圧

こんなものを目にした。

人は社会との接触で自分が定義づけられる。"かわいくなるワケのない自分という大前提" は、社会に抑圧され続けて "そうならざるを得ない" ことから来る諦めのようなものだ。
しかしVRは人間の感覚(主に視覚)をハックし、つまりそれは感覚の受容から成立する「自分と自分以外の関係」を根底から覆しにかかってしまう。自分を否定的に見るといったような都合の悪い部分もカットしてしまえる。関係性が変わることで、抑圧により生じていた "かわいくなるワケのない自分という大前提" さえも揺らげば、自分の主体性そのものも再構築を迫られる。
だから「かわいくなっていいかも」という潜在的欲求がここで芽を出すことになる。
とても面白い話だ。

元々この大前提は絶対覆らないものではなく、凄く頑張れば何とかならなくもなかった。女装とか、外観と中身の不一致から性転換するなどがそうだ。ただし社会は変わらず存在するし自分という外観も残るので、それと戦わなければいけない。打ち勝つだけのものを備えるには技術や時に覚悟もいる。
それに比べれば格段に「かわいくなっていいかも」の敷居は下がった。本当に。


この「俺が美少女だ!」というのはバーチャルYoutuberを抜きにしても確実に流れが来ていて、最近こんなのも話題になったりしている。

こちらは自分をかわいいと言ってくれる仲間が共にいる社会の実現である。元々2人同時だったのが4人になってしまった。これはヤバい。ちょっとまだ行けてないが是非とも誰かを道連れ…じゃなかった同士を見つけて行ってみたい。

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全員が全員「男に生まれて良かった」と思っているわけではないのだ。
おっさんにしてくれと頼んでもいない。ファッションも男の場合はぶっちゃけ女性の下位でしかない。男っぽい服を女性が着た場合とその逆での違和感を想像すれば一目瞭然だろう。
かわいくはなりたくても男として生まれたので社会が認めない抑圧は、人によっては意識しているかも知れないし無意識下でしかない人もいる(自分の場合は抑圧を意識している側にあったけど)。
別に性差を超えるまで行かなくても、VRの中なら若いとかってのもありだ。

大事なことは「気付き」にある。
感覚の受容から成立していることを忘れて、不変と思ってしまっていて案外そうではないことというのは、結構あったりもするものだ。そこから技術によって「気付き」を得ることは、自分の考えを変える手助けになるかも知れない。
社会に迷惑かけない範囲であればもっと自由でいいのよと技術が導いてくれるなら、それは正しい未来かなと思う。

この傾向、もっと流行って欲しい。

モノと共に生きる

BEATLESS アニメ公式
http://beatless-anime.jp/
■Analoghack Open Resource
https://www63.atwiki.jp/analoghack/

BEATLESSのアニメ放映が始まって2週。
アニメの率直な感想としては、作画面での省エネっぽさは否めない。動いていない訳ではないが、必要そうなところでコストをそこまで引き上げていないのでそう印象づけられる。省エネ作画でも楽しめる作品は幾らでも存在するが、これを作画が弱いからあかんと受け取る向きはあるだろう。まあそう思ってしまうなら仕方ない。
一方、脚本に関しては今のところ概ね良く出来ていて、地の文で幾重にも織り成し描写していく長谷せんせの文調にあって、原作から切り落とす取捨選択に大きな誤りがなくテンポが良い。何せ原作は649ページもあるので結構大胆に飛んでいたりするのだが、視聴しているとそれほど無理を感じることがなく驚いた。原作全14+1話に対し放映は24話あるので、この調子なら脚本面は心配なさそうかな? という気がする。
脚本会議にもアフレコ現場にも長谷せんせは参加しているそうだから、極度の解釈違いはないのだろうし。

ただこの脚本の取捨選択のセンスというのは、原作既読でないと比較しようがない。自分はアニメ化を「原作及びAnaloghack Open Resourceへの導入でありさえすればいい」と思っているが、未読勢はどう受け止めるだろう。脚本の良し悪しで追いかけるよりbuzzり具合でその時の覇権をどうこう言う層に多くを期待するものではないが、何らかの形で原作を手に取ったりAnaloghack Open Resourceへ踏み入る人が増えればなあと願う。
BEATLESSは入り口に過ぎず、その先が割と面白いことになっているからだ。

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BEATLESS世界の西暦2105年では、世界中にhIE(humanoid Interface Elements)という"道具"が普及している。その数は日本だけでも1000万体ということで、街中で人を10人見かけたら内1人は人間ではない。なのに見た目だけでは判断がつかない。
そんなhIEの行動は自律的ではなく、(人類を越えた知能を持つ)超高度AIの内の1体・ヒギンズが一括して担い、クラウドで制御をしている。なお人工知能に感情を入れ込むことは西暦2071年に否決されたという設定の通り、物語は最後までアンドロイドが道具であることが一貫される。
人間が頭捻ってもわからない論理で動き、感情を持たないのに持っているように見える人に見えて人でないモノが道を歩いていれば必ず見かけるレベルに存在するのは、現代人の感覚で言えばホラーそのものだろう。

この "実は危ない世界" というのはBEATLESSの外でより顕著になる。
同じ世界観を共有するSF短篇集『My Humanity』内「Hollow vision」では液状コンピュータが盗まれ、霧状コンピュータといったものまでが登場する。
またAnaloghack Open Resource活用の作例として2017年冬コミに長谷せんせが書かれた「電霊道士」では中国が舞台になっており、超高度AI・進歩八号が徳点と呼ばれるゲーミフィケーションを国民に徹底させ、その見返りとして死後に人格を高度AIとして残す…つまり超高度AIが霊界を作ってしまっている。隣の国に行ったら「あの世? 実在するんですよ」とコンピュータを指差して言われるとか、それちょっとというかだいぶ怖い。
その他Analoghack Open Resourceでの公開設定として「イギリスがメタンハイドレートを自動で集めようと超高度AI活用したら、生物系統まるごとひとつ作っちゃって中止になった」とか、「タンパク質と水を与えていればほぼ無限に大きくなる生体コンピュータ」とか、犯罪を行うための超高度AIが存在するかもだとか、ヤバい話がそこらじゅうに転がっている。

人類の尊厳も居場所さえも失われつつある世界観。驚くべきはこれを一定のルールを守ることで、二次創作フリーではなく一次創作として活用することを認める試みがもうとっくに始まっている点。自分のオリジナル作品だと言っちゃって良いということだ。BEATLESS(とスピンオフ「天動のシンギュラリティ」)ではその内の一部を、日本を中心に描いているに過ぎない。
長谷せんせ本人が作例作るだけでえらい面白いものが飛び出すので、触れる人が増えれば、ここからとんでもないものが飛び出すかも知れない可能性がある。
だからアニメを機にその先へと願っている。

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世界観の魅力とは別に、長谷作品の中で個人的にBEATLESSが最も好きである理由は、"機械に心を持たせるようなことはしない" まま人が人以外のモノを信じ続け最後にポジティブな答えがちゃんと出ているところにある。そういう関係性は大変憧れる。
人間不信が人格形成の根幹になっている自分にとって、少年期に信用出来る相手は人でなくパソコンだった。BASICプログラムやニーモニックを打ち、正しく打てばその通りに動いた。バグを引き起こしたり実行エラーが出る時は、大抵打ち込んだ人間の方が悪い。
学校に行けば非があるわけでもないのにいじめられたりもする中で信頼関係を築くのは難しく、家帰ってパソコンつっついている方がよほど安心出来た。

自分が生きている内にhIEのような存在と幸せな人生を過ごせるかってーとそれはちょっと難しそうなのが残念だが、人以外のモノをもっと信用出来る世界が少しでも早く訪れたらと思う。
人と人との関係より良い未来を選ぶことが出来るのであれば、人は人以外の知性ともっと手を取り合って生きて良い。BEATLESSはそのビジョンを示してくれたのだ。

新春港巡り

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そんなつもりではなかったんだけど、昨年は丸々来ることが出来ていなかった。陸奥の主砲が船の科学館から移設された直後に訪れたのは一昨年のこと。その時は砲まわりの整備が完了しておらず、全て終えた状態を見たのは今回が初めてとなる。月日が流れるのは早い。

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今回のメインの目的は記念艦三笠。普段は外からしか見ることの出来ない操舵室内を、この三ヶ日だけ扉あけますとのことで久しぶりに乗船した。しばらく見ない内に更新または新設された展示がいくつも見受けられ、少し雰囲気が変わった印象。特にVR日本海海戦は、単にパネル見るだけよりは介入出来る余地があって良い。

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海自基地の停泊状況はこのような感じ。正月ということもあって長浦港も含め停泊数は多いことから、軍港巡りも久しぶりに参加することにした。この日は強い北風で、年末年始特別運行の猿島航路が取りやめになってしまったほどだったが、夏にガスったりしているのを見るよりかは全然気持ちが良い。寒かったけど。

f:id:Yumeka:20180103135315j:plain艦番号303だった掃海艦はちじょう。海自最後の木造船が除籍されたのは半年前だ。いずれ見ることすらも出来なくなる。いつまでここにいることになるだろうか。

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軍港巡りを終えて歩いているうち15時になったので、居酒屋空母信濃で昼から酒を飲む。予定では昨年末までの提供だった限定メニュー「山城スペシャル(メンチカツ+うずらの卵の串揚げ)」は、艦橋の材料にまだ余りがあるとのことで頂けることに。

ここに書かれた台詞と共に山城がボス艦をなぎ倒した、艦これ2017年秋イベの最終海域は大変アツいものがあった。艦これは運命の軛を総力戦で切り開き未来へと生きて進む趣旨でイベントや台詞などが作られているが、その最たる例を見たのがレイテを舞台にしたこの前のイベだったと思う。藤田さんの演技はとても力強く、そして西村艦隊は成し遂げ、見事生きて全員帰還した。
見届けたからこそ、このメンチカツは食べておきたかった。ありがとう、信濃さん。

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横須賀(来訪数それなり)・呉(2回)・佐世保舞鶴と旧軍港都市を巡って思うに、もし「どこへ行くにも遠い」という条件で「かつて鎮守府のあった軍港」という目的で訪れるとすると、申し訳ないがその点では一番面白くないのが横須賀だと思う。
海軍工廠のあったかなりの部分は米軍が抑えてしまっており、鎮守府庁舎は現存しているが通常時は見ることが出来"ない"。1~3号ドックも米軍基地内であり、これを市外の人が見るとなるとかなりの倍率を抜けなければなら"ない"。普通に訪れることが出来る範囲では戦前の遺構もあるにはあるが多くは"ない"。かなりないない尽くしなのだ。

横須賀の場合は、かつて軍港だったというより「基地のある港街」くらいで留めておいた方が良いだろう。そういう向きで見れば面白い店も多く、1回では楽しみきれないくらいの魅力はあるし、横須賀市もあの手この手で観光客を誘致出来ないかと積極的に手を打っている。一応イベント状況はチェックし続けてはいるので、何らか理由をつけて訪れたいつもりはある。


そういえば今年は3年に1回の観艦式だ。倍率は厳しいけど一度くらいは当たりたいものだなあと、軽めの横須賀再訪をしつつ思ったのだった。