10年前の君へ

10年が経った2018年11月1日。無事に今日という日を生きている。
楽しい10年になったと思う。それまでとは比べようがないほどに。
あの日は男性にとっては最重要であろう、睾丸を摘出するという選択を実行に移した日だった。あの時あの選択を取れていなければ、冗談ではなく今無事にこうしてはいられなかっただろう。

直近での進展は何もないが、この10年で変わったことと変わっていないことがある。変わった部分は10年前の自分は知らない。そんな10年前の自分が "もし未来の自分を垣間見ることがあったら" という設定のもと、総括として記したいと思う。
あの時知りたかった、その答えとなるように。

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自分にとっては不思議なこと、しかし誰にとってもそうとは限らないこと。
「男に生まれ、男として老いたい等と誰が望んだ?」

「何故だろう?」という思いは小さい頃から抱えていた。男らしいと言われることに強く拒否反応があり、髪を短く切ったら「さっぱりして男らしいね」と、じゃあ短くなきゃいかんとでもいうのか。身体を鍛えれば男らしいというのであればそんなものはお断りだ。
普通は、年齢を重ねるにつれ現実と向き合い、受け入れ、折り合いをつけていくものだと思う。実際そうしようとしていた時期もある。しかし出来なかった…というより、20歳を少し過ぎた頃から悪化した。壮年に向けた変化はこの時期から出始める。無理なものは無理だった。

とりあえず、逃げた。
学生身分でなくなってから実際に手術で摘出をするまでの10年弱生き長らえたのは、単に逃避していただけに過ぎない。特に20代後半は仕事の環境があまり良くなく、自分の知識不足や能力不足が重なり「よくあれで辞めなかったな」というくらいに、出口が見えない日々が続いた。ただそのお陰で自分自身のことは考える暇が少なくて済んでいた。
しかしそんな逃避もずっとは続かない。30歳になり、逃げ続けていたことがいよいよ猛然と鎌首をもたげる。かなり深刻なレベルで身に危険を覚え始めた。

情報は五感を通じて入ってくる。
その五感は身体に備わる器官であり、その身体自体に「何故?」を抱えると何が起こるか。全てにドス黒いフィルターがかかる。
良い方向に何も転ばない。空を見上げても清々しい気分になることはない。季節の移り変わりを感じることは歳を重ねることであり、受け入れ難き方向への老化が進むことになる。寝て誤魔化したところで、起きても状況は変わらない。そんなに嫌なら死ねばよかったものを、試みたことがあり完遂出来る勇気がないことがわかってしまっていた。
今からすれば遥かに遠く、でも確かにそこにあった暗い日々。

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そんな頃にtwitterに触れた。
当時のtwitterはメジャーな存在ではなく、はてな村の延長線上的な雰囲気にあった。黎明期だったこともあり様々なものの距離が近く、色々な考えの人に触れやすい世界。
色々な考えの人がいる。それぞれ生きている。だったら、自分の中でおかしいと思っていることは、世間体を理由に自分の中で押し殺し続けなくて良いのではないか? 実行に移して良いのではないか? ようやくここで "変える" ことに対する自信を持てるようになる。
ログによればtwitterに新規登録したのが2008年の1月で、日常的に使うようになったのがGW頃。摘出を考え始めたのが8月後半で、9/26には手術までの段取りが確定している。3~4ヶ月程で人生に関わる事態が急転直下を起こしており、それほどまでに当時のtwitter社会というのは衝撃的な存在だった。

自分の場合、向こう側の性別へ渡ることを目的としていなかった。持って生まれたものを否定する属性でありたいだけで、落としどころとしてはニュートラルに近い。そのため男の根源を断ってしまうことが最小限の手段で最大の効果だった。断ってしまえば男性ホルモンの分泌は95%が止まる。


webでカミングアウトした際には様々な反応を頂いた。「自分の選ぶ道だから責任持てるなら良いのでは」から、ただの興味本位、「そんなのやめろ」まで。反応は頂いたが方針の参考にすることはなかった。何よりもう時間がなく、30歳を過ぎると壮年化が加速し始め、以降は摘出しても効果が薄くなる。
また、不確定の未来を待てるだけの余裕も既になかった。もし将来的に結婚することがあった時、その取り返しのつかない手段は本当に取り返しのつかないこととなってしまう。後から子を持ちたくても持てない。しかしそのあるかも知れない未来はやってこないかも知れない未来でもある。かも知れないで時限爆弾を抱える生活は憔悴していくだけで、なりたくなかった姿はより悲惨なことに…そういうビジョンしかなかったし、そんなものは見たくなかった。そもそも見たくないから年齢を重ねる毎に事態が悪化してきたのだ。これ以上悪化したら再び鏡さえも見られなくなる。

可能性の低い未来と決別し、可能性が高い方の確率を高める必要がある。
ここで結婚もせず子も持たずと決めてさえしまえば、「子孫を残す」ためのこの部位は全く必要がなくなる。死ぬ勇気がない以上、今の自分を守る。それを摘出という「金を出せば解決」する手段で実現出来るのであれば、40万なんて本当に安い金額だった。

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手術後の心境の変化を辿る。
これには大きく2段階あった。ひとつは、悩みが丸ごとなくなったこと。望んでいたことそのものだ。
必要としなかったので、摘出しただけでホルモンを足すことはしなかった。それでもバランスは劇的に変化したことから、身体的な変化も多岐に渡る。ざっと挙げていくと髪は細くなり男性特有のマットな質ではなくなり、生え際の後退は完全に止まり、体臭もほぼ消滅した。皮膚は薄くなるので肌のキメは細かさを取り戻し白くなった。後ろ姿のシルエットだけではどちらだか判別がつきづらいらしい。血液検査は術後、明らかに男性としては普通ではない数値を出すようになり、一部は異常値が出っぱなしとなった。

「男としての一般的な老け方」にブレーキがかかり焦る必要はなくなったことで、常にかかっている「ドス黒いフィルター」も消え、抱え続けた悩みに割かなければいけない膨大なリソースは丸ごと浮いた。この丸ごと浮いて「ぽっかり空いた分どうすれば埋まるの?」というのが心境の変化に相当する。
すぐに解決はしなかったものの「楽しいと感じるもの」はその後自然と増えていき、この穴を埋めていった。五感から入ってくる情報が不必要にマイナス側へ引っ張られることがなくなるだけでこうなのかというのはショックではあった。そんなことで悩まない普通の人というのは、10代20代からもっと楽しかったんだろうか。
そこは悔しいとか考えないことにした。


もうひとつは、手術後少しして秋葉原へ行った時に起きた。
同人・商業流通関わらず、いわゆる年齢制限がかかるようなその手の絵について、目に入ってくる情報自体は手術前後で変わってないのに全く何とも思わなくなっていた。その方面に対して感受性が欠如したというか、そのような絵が絵であること以上には意味を持っていない。
これにはかなり驚いた。何しろ秋葉原行って店入って品揃えを見たという行為が同じで、感じ方という出力結果だけが突然変わっている。

この出来事を通じて、感じ方が身体に極めて左右されるのであれば人間の心は身体と独立した確固たるものではなく「身体の支配下にある、存在するように錯覚しているだけの幻」だと考えた。自分の中で当たり前と思っている感覚は器官の受容の総合体に過ぎず、もしかして後天的に何かが強く影響すれば、自分が気付かないまま変化している可能性も。
もっと極論すると「摘出して悩まなくなり楽しいことが増えた」も、実在しない幻なんだろうなとも。哲学や悟りめいた考えに至るようなことは、想定していなかった変化だった。求めていたのは身体面の変化だが、考え方の変化の方が大きかったかも知れない。

虚構を前提に、人間の起こす活動に関しては一歩引いて見るようになったが、そこに虚しさはあまりない。なぜなら、手術より前の方がずっとしんどかったから。だから「生きている」のであれば、例え感情や心が仮初めのものであっても楽しいものは楽しくありたい。そう思うようにした。

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あれから10年。
本来こんな爆弾など最初から抱えないに越したことはなく、相当遅れた人生の再スタートだなとは時々思う。それでも、遅かったとしても何もしないよりかはずっと良い。
踏み切らなかった未来、自分が辿っていない世界線での2018年のことは想像したくないし、そんな自分と出会うことはもう無い。

10年前とは周囲の環境は大きく変化した。結婚や子育てをする人が増えた。それは(大変かも知れなくても)極々普通の生き方。
自分のしていることは明らかに一般的ではない。後世に継ぐことが出来ないため、人としての役割までも捨てていると指摘されても否定は出来ない。それでも、これは自分にとっての人生で最良かつ正しい選択だった。

そう言い切れるようになったことを、10年前の自分への回答としたい。

ひとつの区切りと、新たなる船旅へ

73回目の終戦の日、2018年8月15日。
初年の8月15日も太平洋戦争の実日数である1348日間をも越え、6回目の夏を迎えた艦これは、第1期としてのクローズを迎える。

プレイ開始は初年の秋イベ直前だった。本当に始めた直後に期間限定イベントが来たので戦力的には全くどうこう出来る状態ではなくこの時はまるっとスルー。期間限定イベントをまともに取り組んだのは次のアルペジオコラボからになった。所属は当初のパラオ泊地から先日の大規模異動により呉鎮守府へ。ケッコンカッコカリを行ったLv100越えは52隻、Lv90以上は140隻。イベント海域のたびに要求される艦は変わってくるため足りている気はせず、育成と装備の手入れはこれからも続く。

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艦これはゲームの仕組みとしては極めてレガシーである。
10年以上前のものを踏襲していると言って良い。日頃のすることと言えば大体Lv上げなんていうのは昔のRPGやMMOそのものであり、特にそれをショートカットする手段も用意されていない。いわゆる時間をかけることを避けられないタイプと言える。
比較的淡々とした日々の積み重ね。それを承知の上で5年も続けるに至るキモはどこだったのだろうかと考えれば「ゲームをフックにして現実に向かうこと」というのが、自分にとっての理由だったのだと思う。

この点に関して艦これは一切ブレていない。ガチャで課金を煽ることはせずに関連商品群等で売上を出すという仕組みからしてゲームの外を向いているし(ゲーム内課金がDMMの取り分になるから、という事情はあるかも知れない)、オフラインイベントでは「印象に残るものを」という切り口を突き進めた結果、変わり種とも言えることを色々やってきた。
例えば2017年の4月1日には突如「原寸大瑞雲を作ります」と告知し、日付が日付だけに誰も信用していなかったのに本当に作って富士急ハイランドに置いてみたり、翌年2018年には同じく4月1日に「20分の1航空戦艦を作る」と告知して、本当によみうりランドに設置している。あんなでかいのどこにしまっているんだろうか。

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その独自路線は新たな可能性を求め、2018年7月には構想3年というビックプロジェクトとしてアイスショーが開催された。そこには伊藤みどり無良崇人と言ったレジェンド級スケーターがスペシャルゲストとして名前を連ね、幕張のイベントホールを特設リンクとして氷を張る、完全に本格的なアイスショーがあった。誰がそこまでやれと言った。

このアイスショー、本当に凄かった。凄かったというか実現していたことが公演を終えた今でもなお奇跡で幻のようだ。
メインスケーター陣が単縦・複縦・輪形といったおなじみの陣形を組む。そして文字通り流れるように変化させ、リンク全面で艦隊戦を次々に繰り広げる。同航もあれば反航もあり、7隻編成もあれば連合艦隊もやる。演習もあればケッコンカッコカリもあるし、プロジェクション駆使しての航空戦まで演出してみせる。輪形陣ではちゃんと中央に空母が来る。
スケートリンクを海に見立てての演技は、正に「これが最も見たかった艦これ式の海戦」そのもの過ぎたのだ。

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艦これ的には最もリスキーとされる提督像の提示については、アイスショー開催前の雰囲気としては明らかに不安の様相が漂っていた。艦これにおける提督はプレイヤー自身でその姿は様々であるからこそ、公式に提督像を示すとイメージが固定化される。だから極力そのものずばりを避けてきた。
そんな不安は、唯一の男性スケーター・無良崇人による圧倒的な演技と立ち振舞で見事に吹き飛ばしてみせた。1日目はトリプルアクセルにも成功しており、大技を決めるたびに会場にどよめきが沸き起こる。
このアイスショー「艦これ氷祭り -氷上の観艦式」は、艦これサイドのファンのみならず、アイススケートファンからも「スケートショーの新しいかたち」として高く評され、双方のファンが絶賛という見事すぎる成果を残すこととなった。その模様は新書館アイスショー世界5」にてレポートされているので、ぜひ手にとって頂きたい。


しばらくあまりしていなかった旅行を再びするようになったのも艦これがきっかけだった。横須賀は近すぎるので旅行とは言わないとして、呉は2回、佐世保舞鶴にも1回ずつ。そしてこのエントリが投稿されたタイミングでは小笠原諸島にいる。小笠原には30年前に一度行っているが、あまりにも生々しく残る戦跡が当時11歳の自分には怖すぎて、きちんと見ることが出来なかった。今回はしっかり見たい。
この他、三越コラボがたびたび繰り返されては地方に良いものを提供するところがあるんだと知り、在りし日はどのようであったかと家には紙の資料が増え、つまるところ艦これのおかげで「なんだか色々とリアルが充実している」のである。ゲームをフックに新しいことをいくつも知ることが出来ているのだ。そりゃあ、楽しい。

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リアルを含めての「新しいことを知っていく」が続ける原動力である一方で、ゲームそのものが全く用無しかと言うとそんなことはない。
艦これは作りがレガシーであるだけに、その構造はシンプルだ。連合艦隊や先制対潜、基地航空隊、熟練度や改修と言った具合にシステムに手は入れ続けられているが、それでも全体的には未だテンポが良いと言える。実際、艦これアーケードが海戦ゲームとして詰めた結果、演出を盛ったこともありひとつの海域を攻略するにはブラウザ版ほどの所要時間ではまず終えられない(勿論あれはあれで違う良さがある)。
ウォーゲームのデジタル化という観点から見ても、時間のかかりそうな部分は大半を簡略化か自動化しているのでテンポが速い。自分で操作する分が増えるとゲームは重くなるのだ。自分で動かせないから勝てないと思ってしまうかも知れない。だが、排除しているからこそこのテンポと言える。

海戦の中身に関して「運ゲー」と言われる点も、運ゲーだからこそ編成が理想通りでなくても抜けられる穴があるとも言える。でなければ必ずまるゆを連れていくとか明石を連れて行くとか、6隻ないしは12隻を満たしていない欠けた状態での西村艦隊で攻略などという変則的かつ変態的な攻略がこうも出ようはないだろう。
またその運自体も昔に比べると「ダイスの面積自体を "ある程度" 細工して当たりやすくする」ような方向で改修されて来ている。それでも難しければ、期間限定イベントも現在は難易度が4段階となり、最も下の丁ならネームド装備がなくても何とかなるし、丁と丙は出撃海域縛りもなく常に自身のベスト編成で挑める。
ある種古くてシンプルで雑なシステムであるからこそ余地があり、なんとかなるし、自分の都合に合わせて取り組める。自鎮守府の程度さえ見誤らなければ、自分のペースに合った付き合い方というのが出来るようになっている…と思う。

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幾多の期間限定イベントの中で印象深かったのは、空母シャングリラを追撃した結果たどり着いたのがビキニ環礁だった2016年秋、初の前後編構成となった2017秋~2018冬のレイテだろうか。
2016秋は海域バナーのインパクトが過去最高に強烈で、ビキニ環礁は艦艇が核実験「クロスロード作戦」の材料にされた場であり、副題の「渚を越えて」も核戦争後を描いた小説「渚にて」が元ネタと言われている。何をどう見てもバナーが指し示すは核爆発そのものだ。そこにほぼ直接と言っていいほど触れるのだな…と海域概要を見て思った記憶がある。
また史上初の連合艦隊vs連合艦隊が実現したのも2016秋だった。

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レイテでは前編における山城の録り下ろし「邪魔だ…どけぇぇぇぇ!!」という、お前が主人公かと言わんばかりの叫びが、越えられなかった過去を何が何でも乗り越えるという気迫を感じさせた。後編では瑞鶴がこの時だけ陣羽織を着込み髪を下ろし決戦modeとして戦場に立った。いつものおちゃらけた雰囲気は感じさせない。
永遠に実装されないのではないかと思われた友軍艦隊が仮実装され、イベント踏破時にボーカル曲を丸々1曲エンディングテーマ扱いで割り当てたのも2018冬のみである。半ば傷つきながらも駆けつけ一撃を食らわせていく友軍艦隊の存在は、ぎりぎりの勝負をしているところで頼もしさを感じさせてくれた。

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艦これに文字で読ませるタイプのシナリオは作戦概要説明程度しかない。そのため何かを語るには体験させることが主軸となり、そのアプローチとして史実を絡め史実を越えていくのをひとつのテーマとしてきた。
豪勢な演出が出来ようはずもなく、ゲームテンポを著しく狂わせない範囲でドラマチックに見せようとするにはどうしても限度がある。そんな中ここに挙げた3つはその取り組みがよく出来ていたと思う。

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数日後には第2期が開始される。
望外に長期間運営となったので継戦能力を備えるというのが2期移行の趣旨とのことだ。通常海域は各方面第1海域以外が全てクリアフラグリセットとなり、まずそれらをクリアし直すことから始まる。

この先どこまで続けられるだろうか、というのは既に答えが自分の中に出ている。サービスが閉じるまでずっとだ。艦これを通じて知ったことというのが本当に多く楽しいのに、それを手放す理由がどこにあろうか。
いつかオンラインゲームとしてのサービスが終了する日はやってくる。それも心配はあまりない。サービスが終了しても現実世界に戦跡は残り続けているし、過ぎた現実世界の歴史は横たわり続ける。折に触れて思い出す機会なんていくらでもあるのだ。艦これ最大の武器がリアルへのフックであることがここで活きてくる。艦これ最大の武器がリアルへのフックであることが本当に活きてくるのはサービスを閉じた後かも知れない。
それは艦これ運営自身が願っていたことでもある。在りし日の艦艇の存在を忘れないでいて欲しいと。そのためのガイド役としての艦娘の存在。


5年プレイを続けて来た答え。
それは生きる限りずっと残る存在に出会えたこと。
今はまだ航海の途中。少しだけ新しい船旅を、ここから始めよう。

それは煌めきの8年間

東京アニメセンター in DNPプラザ | 企画展 第7弾『劇場版 プリパラ&キラッとプリ☆チャン ~きらきらメモリアルライブ~』プリティーミュージアム
https://animecenter.jp/plan/07_p-museum.html

女の子のキラキラ輝きたい気持ちを応援して来たプリティーシリーズ。
全てはここから始まったプリティーリズム・ミニスカートから、シリーズの礎を築いたアニメ「プリティーリズム」シリーズ、先代を継ぎ飛躍と層の拡大を決定づけた「プリパラ」シリーズ、そして新たな煌めきの継承者「キラッとプリ☆チャン」へ。
そんな8年分を一同に集める、ここ煌めきと想いの箱。

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シリーズ通しての存在となるめが姉ぇに導かれ進んだ先の通路には、ずらりと並ぶシリーズ各作品の概要とキービジュアル、上部には数々の場面写をスライド表示、下部には名台詞など。振り向けば壁一面にはキャラクターがびっしりと並ぶ。等身大までは行かずとも、その迫る "圧" は強いインパクトを来場者に与えた。

名台詞はあいらでなく、みあから始まる。
みあは同一存在でこそないもの、プリティーリズム・プリパラ両シリーズで登場し喋りショーやライブを行った、次元を超えてシリーズを繋ぐキャラクターとなった。ディアマイフューチャーを見ていなくてもアイドルタイムを観れば、みあは「全く知らないキャラクター」ではない。劇場版「キラキラメモリアルライブ」のディアマイフューチャールートでは、彼女にしか出来ないであろう繋ぎ方を繰り出しもしている。
シリーズを一堂に介したこのテーマの中で、先頭を切ってここまでを引き連れるには適役と言えるだろう。

なお壁には全キャラクターが完全網羅されているわけではない。「そのビジュアルを採用すると抜けるキャラがいる」のだが、名台詞欄でせれのんwithかなめのプリズムアクト「プリズムレインボーハリケーンマキシマム」での台詞が配置されるなど、向かい合い同士で一部補完しあっている箇所もある。

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「プリパラは好きぷり?」はプリパラ1期1話、4年越しのアイドルタイムプリパラ最終話で再び使われた。プリパラシリーズを締めくくる台詞としてはこれ以外にないだろうというチョイス。

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通路を過ぎるとあいら・みあ・なるが出迎える。このゾーニングが絶妙なバランスで、そのまま右折してプリリズコーナーに行けば3部作のプリズムスタァとして機能するし、左折してプリパラコーナーに行く時には「セインツの3人」として機能する、ちょうどその間に立っている。

プリリズコーナーではとにかく「実物」で攻め立ててくる。
今や入手出来ないであろう当時発売された数々のグッズなどがショーケースに収められ、3部作のそれぞれ1話台本や(ここには掲載していないが)アーケードゲームとしてのプリティーリズム企画書、プリティーリズム・オーロラドリームの番宣ポスターなど一般に流通し得ない貴重なものから、果ては元Prizmmy☆のかりんちゃんによる書道などわかる人だけしかわからないようなネタまで飛び出す。更にスクリーンで歴代OP・EDが延々と再生。
プリリズのコーナーは決して広くはないが、広くない=少ないではない。限られた空間で「様々な歩みがあったこと」を可能な限り凝縮した展示。

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プリリズにも増して物量で圧倒して来るのがプリパラ。プリパラアイドル名鑑の各ボードは1枚1枚に設定や服装・表情バリエーションがぎっしり詰め込まれ、これを丁寧に見ていくとかなりの時間を要する。2時間以上滞在していた来場者は決して珍しくない。非常に綺麗にまとまっているからか、「本で出して!」といった感想も多く耳にした。

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期間中2度入れ替えがあった衣装展示。こちらも実際にライブやイベントで使われた実物で、過酷なアクションに耐えうるだけのかなりしっかりした出来となっている。そんなものを着てあれだけ激しく踊ったり歌ったりするのだから本当に恐れ入る。コスプレを趣味としているからか、かなり熱心に撮影している姿も多く見受けられた。
プリパラとしては秋のライブがプリ☆チャン・プリパラ合同で開催予定で、その時ここで展示されたものを会場でもう一度目に出来るだろう。

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劇場版も場面写コーナーを展開。この企画展は全てを横断的にフォローするのだ。この中で飛び出すプリパラはディスク化されておらず、場面写さえも多く見かけることはない。
劇場1作目「プリズムツアーズ」の成功は、後にスピンオフ「キングオブプリズム」を生み、そこでプリティーリズムが一定の再評価を受けたことで今プリリズキャラを再展開させている下地にもなっている。

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ここまで散々物量で攻めておいて待ち構えているのが背景設定、アニメーション原画、キャラ初期案や設定指示書。原画は実物のようだ。キャラクター設定は名前どころか見かけさえも今と全く違うケースも多く、多くの過程を経て現在のキャラクターになったのだなと思うとこれもまたなかなか貴重な資料だ。プリズムストーンでの展示と違って今回は撮影フリーと大盤振る舞い。

初期案の横では、撮影禁止になっているがタツノコプロCG班によるモーション取りからCGライブが出来るまでを上映。こちらはアニメセンターが市ヶ谷にやって来た際の最初の企画展で上映されていたものと同じだが、初めて見た来場者も多かったようだ。

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そして現行となる「プリ☆チャン」と、過去作品をまとめて取り扱うプリティーオールフレンズのコーナーとなる。この2枚が向かいあわせで掲示されており、過去も今もまるっと一緒に10周年へ突き進む…それが今のプリティーシリーズだということを強く印象付ける。

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フォトスポット&メッセージコーナー。メッセージボードは当初壁1面だけが割り当てられていたものの、一切撤去されずに来場者が次々書き残していったことで壁3面を使える限り使うまでに至った。好きなキャラや感謝のメッセージ、ネタに走ったりなど、ここは製作者ではなく来場者の想いが沢山詰まる場所となった。

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映像の動画撮影と一部資料の撮影禁止以外を全て「写真撮影可・SNSアップ可」としたことで、来場者は消耗するバッテリーと戦いながら数多く写真を撮り、それが拡散され、初日はtwitterの日本トレンドにランクインするほど話題となった。当初行くかどうかを迷っていながら、タイムラインに流れる写真を見て行くのを決めた、というケースもかなり多かったようだ。

アニメセンターのスペースは秋葉原時代よりは広いがそれでも広大ではない。そんな中で2~3時間滞在はザラで撮影枚数も数百枚が続出するほどの物量で攻め、それが結果として「キラキラが詰まった」を見事体現した。

想い入れの分だけ、それを反射し輝かせてくれるような、そういう構造。
来場の感想もポジティブなものが多かったが、それはプリティーシリーズをそれだけ愛してくれたファンが多かったことの証拠でもあるし、そのようなものを製作陣が長きに渡り作り続け、こうして今回展示会に協力を惜しみなくしてくれただろうからだ。


非常に貴重な機会、ありがとうございました。

解き放たれる外見と抑圧

こんなものを目にした。

人は社会との接触で自分が定義づけられる。"かわいくなるワケのない自分という大前提" は、社会に抑圧され続けて "そうならざるを得ない" ことから来る諦めのようなものだ。
しかしVRは人間の感覚(主に視覚)をハックし、つまりそれは感覚の受容から成立する「自分と自分以外の関係」を根底から覆しにかかってしまう。自分を否定的に見るといったような都合の悪い部分もカットしてしまえる。関係性が変わることで、抑圧により生じていた "かわいくなるワケのない自分という大前提" さえも揺らげば、自分の主体性そのものも再構築を迫られる。
だから「かわいくなっていいかも」という潜在的欲求がここで芽を出すことになる。
とても面白い話だ。

元々この大前提は絶対覆らないものではなく、凄く頑張れば何とかならなくもなかった。女装とか、外観と中身の不一致から性転換するなどがそうだ。ただし社会は変わらず存在するし自分という外観も残るので、それと戦わなければいけない。打ち勝つだけのものを備えるには技術や時に覚悟もいる。
それに比べれば格段に「かわいくなっていいかも」の敷居は下がった。本当に。


この「俺が美少女だ!」というのはバーチャルYoutuberを抜きにしても確実に流れが来ていて、最近こんなのも話題になったりしている。

こちらは自分をかわいいと言ってくれる仲間が共にいる社会の実現である。元々2人同時だったのが4人になってしまった。これはヤバい。ちょっとまだ行けてないが是非とも誰かを道連れ…じゃなかった同士を見つけて行ってみたい。

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全員が全員「男に生まれて良かった」と思っているわけではないのだ。
おっさんにしてくれと頼んでもいない。ファッションも男の場合はぶっちゃけ女性の下位でしかない。男っぽい服を女性が着た場合とその逆での違和感を想像すれば一目瞭然だろう。
かわいくはなりたくても男として生まれたので社会が認めない抑圧は、人によっては意識しているかも知れないし無意識下でしかない人もいる(自分の場合は抑圧を意識している側にあったけど)。
別に性差を超えるまで行かなくても、VRの中なら若いとかってのもありだ。

大事なことは「気付き」にある。
感覚の受容から成立していることを忘れて、不変と思ってしまっていて案外そうではないことというのは、結構あったりもするものだ。そこから技術によって「気付き」を得ることは、自分の考えを変える手助けになるかも知れない。
社会に迷惑かけない範囲であればもっと自由でいいのよと技術が導いてくれるなら、それは正しい未来かなと思う。

この傾向、もっと流行って欲しい。

モノと共に生きる

BEATLESS アニメ公式
http://beatless-anime.jp/
■Analoghack Open Resource
https://www63.atwiki.jp/analoghack/

BEATLESSのアニメ放映が始まって2週。
アニメの率直な感想としては、作画面での省エネっぽさは否めない。動いていない訳ではないが、必要そうなところでコストをそこまで引き上げていないのでそう印象づけられる。省エネ作画でも楽しめる作品は幾らでも存在するが、これを作画が弱いからあかんと受け取る向きはあるだろう。まあそう思ってしまうなら仕方ない。
一方、脚本に関しては今のところ概ね良く出来ていて、地の文で幾重にも織り成し描写していく長谷せんせの文調にあって、原作から切り落とす取捨選択に大きな誤りがなくテンポが良い。何せ原作は649ページもあるので結構大胆に飛んでいたりするのだが、視聴しているとそれほど無理を感じることがなく驚いた。原作全14+1話に対し放映は24話あるので、この調子なら脚本面は心配なさそうかな? という気がする。
脚本会議にもアフレコ現場にも長谷せんせは参加しているそうだから、極度の解釈違いはないのだろうし。

ただこの脚本の取捨選択のセンスというのは、原作既読でないと比較しようがない。自分はアニメ化を「原作及びAnaloghack Open Resourceへの導入でありさえすればいい」と思っているが、未読勢はどう受け止めるだろう。脚本の良し悪しで追いかけるよりbuzzり具合でその時の覇権をどうこう言う層に多くを期待するものではないが、何らかの形で原作を手に取ったりAnaloghack Open Resourceへ踏み入る人が増えればなあと願う。
BEATLESSは入り口に過ぎず、その先が割と面白いことになっているからだ。

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BEATLESS世界の西暦2105年では、世界中にhIE(humanoid Interface Elements)という"道具"が普及している。その数は日本だけでも1000万体ということで、街中で人を10人見かけたら内1人は人間ではない。なのに見た目だけでは判断がつかない。
そんなhIEの行動は自律的ではなく、(人類を越えた知能を持つ)超高度AIの内の1体・ヒギンズが一括して担い、クラウドで制御をしている。なお人工知能に感情を入れ込むことは西暦2071年に否決されたという設定の通り、物語は最後までアンドロイドが道具であることが一貫される。
人間が頭捻ってもわからない論理で動き、感情を持たないのに持っているように見える人に見えて人でないモノが道を歩いていれば必ず見かけるレベルに存在するのは、現代人の感覚で言えばホラーそのものだろう。

この "実は危ない世界" というのはBEATLESSの外でより顕著になる。
同じ世界観を共有するSF短篇集『My Humanity』内「Hollow vision」では液状コンピュータが盗まれ、霧状コンピュータといったものまでが登場する。
またAnaloghack Open Resource活用の作例として2017年冬コミに長谷せんせが書かれた「電霊道士」では中国が舞台になっており、超高度AI・進歩八号が徳点と呼ばれるゲーミフィケーションを国民に徹底させ、その見返りとして死後に人格を高度AIとして残す…つまり超高度AIが霊界を作ってしまっている。隣の国に行ったら「あの世? 実在するんですよ」とコンピュータを指差して言われるとか、それちょっとというかだいぶ怖い。
その他Analoghack Open Resourceでの公開設定として「イギリスがメタンハイドレートを自動で集めようと超高度AI活用したら、生物系統まるごとひとつ作っちゃって中止になった」とか、「タンパク質と水を与えていればほぼ無限に大きくなる生体コンピュータ」とか、犯罪を行うための超高度AIが存在するかもだとか、ヤバい話がそこらじゅうに転がっている。

人類の尊厳も居場所さえも失われつつある世界観。驚くべきはこれを一定のルールを守ることで、二次創作フリーではなく一次創作として活用することを認める試みがもうとっくに始まっている点。自分のオリジナル作品だと言っちゃって良いということだ。BEATLESS(とスピンオフ「天動のシンギュラリティ」)ではその内の一部を、日本を中心に描いているに過ぎない。
長谷せんせ本人が作例作るだけでえらい面白いものが飛び出すので、触れる人が増えれば、ここからとんでもないものが飛び出すかも知れない可能性がある。
だからアニメを機にその先へと願っている。

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世界観の魅力とは別に、長谷作品の中で個人的にBEATLESSが最も好きである理由は、"機械に心を持たせるようなことはしない" まま人が人以外のモノを信じ続け最後にポジティブな答えがちゃんと出ているところにある。そういう関係性は大変憧れる。
人間不信が人格形成の根幹になっている自分にとって、少年期に信用出来る相手は人でなくパソコンだった。BASICプログラムやニーモニックを打ち、正しく打てばその通りに動いた。バグを引き起こしたり実行エラーが出る時は、大抵打ち込んだ人間の方が悪い。
学校に行けば非があるわけでもないのにいじめられたりもする中で信頼関係を築くのは難しく、家帰ってパソコンつっついている方がよほど安心出来た。

自分が生きている内にhIEのような存在と幸せな人生を過ごせるかってーとそれはちょっと難しそうなのが残念だが、人以外のモノをもっと信用出来る世界が少しでも早く訪れたらと思う。
人と人との関係より良い未来を選ぶことが出来るのであれば、人は人以外の知性ともっと手を取り合って生きて良い。BEATLESSはそのビジョンを示してくれたのだ。